こういう風になってくらしたい
その一言から始まる狂気の世界。
なんかちいさくてかわいいやつ
略して
ちいかわ
ぱっと見は極度にデフォルメされた可愛らしいキャラクターが織りなす日常を描いた大人気漫画作品です。
まるで子供向けのようですが、大人からも大きな関心を寄せられている作品です。
本記事では、大人もハマる異常な魅力的な世界観について考察していきます。
ご意見ご感想は Twitter:@tanshilog まで頂けますとうれしいです。
大人を魅了する理由
ただ可愛らしいデフォルメされたキャラクターが登場するだけなら、ほとんどの場合は子供向けの作品となります。
しかし、本作については非常に考察の余地のある世界観をしているのが最大の特徴です。
ちいかわの始まりは、作者のナガノ氏が「こんな風にすごしたい」という願望を描いたTwitterマンガでした。
「なんかちいさくてかわいいやつ(ちいかわ)」になり、美味しいものを食べ、自由気ままに泣き、怒り、笑って過ごしたいという、内容なんて無いよといった具合の緩い作品でした。
逆に「なんかでかくて強いやつ(でかつよ)」になり、気に入らないことは実力で排除し、生きるために食い、徹底的に自由に暮らしたいという、とにかく社会やその他の制約から逃れて生きていきたいという、誰もが願う人生をコミカルに描いています。
そんなパートがしばらく続いたのち、「ちいかわ」や「でかつよ」らのいる世界と、彼らの生活が具体的に描かれるマンガパートに移っていきます。
そう、移っていくのですが…。
そこで描かれたのは、最初に言っていたようなしがらみのない世界ではなく、
極めて過酷な現実が見え隠れするものだったのです。
そのギャップと、全てを描かないストーリー展開から考察欲が刺激され、私も含めた大人たちが「ちいかわワールド」に引き込まれていくのです。
数多ある魅力のいくつかを具体的に解説していきます
貧富の差が如実に描かれている。
天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず。
福沢諭吉の著書「学問のすゝめ」の前書きにある非常に有名な言葉です。
このフレーズのみが一人歩きをしてしまったために、まるで「人と人とに差はないので平等に生きるべきだ」というメッセージのように使われますが、実は正解ではありません。
厳密には「天は人の上に人を作らず、人の下に人を造らず、と言へり」と続きます。
言へり。
つまり「~と言われている」という、世間一般ではこう言われているよね、という意味合いの言葉が続きます。
この一文はアメリカ独立宣言からの引用だそうです。
つまり、福沢諭吉自身の考えで、そう言っているわけではありません。
正しい文章を簡単にお伝えしますと、以下のようになります。
「人は生まれながらにして平等と言われているけれど、実際は貧富の差が顕著ですよね。その分かれ道になるのが教養の有無なのです。だから勉強した方が豊かになれますよ」
現実世界では当たり前の概念ですが、ちいかわワールドでもこの原則はしっかりと適用されています。
彼らの世界には自然と食料が湧き出すスポットがあるほか、可食性の植物が豊富に自生しています。
そのため、何もしていなくても食うに困るとという状況にはなりにくい世界であるという特徴があります。
しかし、それでもこの世界には労働という概念があります。
食べ物には困らなくとも、家をはじめとした生活必需品や嗜好品を手に入れるにはお金が必要なのです。
お金を稼ぐには働かなければなりません。
そこで「労働の鎧さん」があっせんしている草むしりや「危ないやつ」の討伐などの仕事を行うのです。
しかし、高給を得るには、戦闘力(技術)が問われる危険な討伐や、有資格者(技能)しかできない仕事をこなす必要があります。
主人公の「ちいかわ」は、フィジカルも弱ければメンタルも弱く、資格試験に何度も落第してしまうほど要領もよくありません。
そのため、ちいかわはあまり多くの収入を得ることはできません。
しかし、運という要素も人生では大きな割合を占めます。
実はちいかわは懸賞で当選した一軒家を所有しています。
他にもすき焼きセットを当てるなど、運だけはあるのがちいかわと言えるでしょう。
とはいえ、ちいかわを始めとした登場キャラクターたちの多くは過酷かつ低賃金な仕事に従事しており、収入的には非常に不安定です。
高収入で労働条件のいい働き口は、有資格者にしか門戸が開かれていません。
自分の実力でのし上がるにも、「ラッコ」のような討伐のトップランカーになる必要があります。
ほとんどのキャラクターは、教養実力不足のため、安い給料でこき使われるのです。
これは現実世界と大差はありません。
おそらく、ちいかわ達が暮らしているエリアは低所得者向けであると思われます。
その根拠として、共有のインターネットコーナーやシール張りの労働現場などの建物はひび割れたコンクリート打ちっぱなしの建物となっています。
「餓死はしない」という最低限度の生活のみが保障されている、文字通りの生活保護の環境課と言えます。
社会不適合者がキメラになる
ちいかわワールドには、肉体と精神が異常な変異を遂げたキメラが多数存在しています。
当初は「危ないやつ」と一括りにされていましたが、「あの子」の登場から彼らの出自について描写が始まります。
討伐対象にもなる「危ないやつ」の中には、ちいかわと同類の種族が変異した者が存在します。
明確な変異条件は不明なものの、日々の生活の中でストレスが一定値を超えると化け物になってしまうようです。
キメラ化した彼らは、最初こそおとなしく過ごそうとしますが、変異に伴い食性が変わります。
従来は美味しく食べられていた木の実などを求めなくなり、代わりにちいかわの種族に「うまみ」を感じるようになるのです。
「あの子」は変異後に木の実にうまみを感じなくなりますが、討伐に来たモブに対して反撃をした際に充実感を得ています。
その後は、自身を討伐に来たモブたちを積極的に捕食し、非常に大きな満足感を得るようになりました。
逆に、モモンガの身体を奪った「でかつよ」は、食料の湧き処が枯渇した際に「ちいかわ」を食べようとしますが、「うまみがない」と不思議そうにしていました。
ちなみに、この際のちいかわの齧られたオデコには明確な歯形が残り、かんだ瞬間には「プツッ」と皮膚を貫通する音がしています。
じゃれつきではなく、肉を食いちぎって食べようとする、本気の齧りが披露されています。
これは食物連鎖を示しており、キメラ→ちいかわ種族→動植物の順に生態系のピラミッドが構成されていると考えられます。
決して理想郷ではない世界
上述のように、もともとは作者のナガノ氏が、「こういう風になってくらしたい」という思いから始まった「ちいかわ」という作品。
当初は特に深みもなく、ファンタジー的に食べきれないほど大きな食べ物に出会ったり、取るに足らないような緩い日常を描くシーンがありました。
それがやがて「ちいかわ」たちの世界を詳細に描写するようになり、だんだんと彼らの住む現実の厳しさを表面化するようになりました。
ナガノ氏は、自身のキャラクターをひどい目に遭わせる癖があります。
作中世界の構造そのものをシビアなものとすることで、ちいかわたちは過酷な現実に直面するのです。
考察:この世界の仕組み
我々が考える「こういう風になってくらしたい」という願望も、あくまで表面的な景色しか見えていません。
「こういう風」になってしまうと「こういう生活」が待っているぞ
という皮肉を聞かせた作品なのではないかと私は思っています。
初期にナガノ氏が述べていた、
「好き勝手に泣き笑い自由に過ごす」生活を皆がしているのが、ちいかわの住む世界なのだと考えています。
つまり、自立心や向上心、成長がない世界です。
ちいかわたちの自立を促すために教育している箱庭がちいかわワールド、
と考えると、社会不適合者に対する強制施設とも捉えることができるかもしれません。
しかし私は、ちいかわの種族の中から「自立心の高い個体」を選りすぐるための一種の養殖場が、あの世界だと考えています。
例えば、食料を枯らすことで増えすぎたちいかわたちの数を抑制します。
食うや食わずの状況に追い込むことで、手に職を持たず収入の少ない個体を半強制的に危険な討伐に向かわせることができます。
その結果、優れた能力を持つ個体のみが生き残り、種としてのレベルの底上げをしているのです。
さらに、特にストレス耐性のないものはキメラ化することでコミュニティから排除され、
そしてそれすらも「ちいかわ」たちの自立心を高めるための討伐という材料にしているのかも…
ナガノ氏は、ひねくれもの独自の視点を持っています。
単純な理想郷なような世界を与えられたとしても面白くも何ともありません。
登場キャラクターが可愛らしいが故にマイルドになっていますが、これがハードな絵柄でキャラクター造形がされていれば、サイコスリラーとして遜色のないものになっていたでしょう。
短絡的な欲望を叶えた結果の世界を「ちいかわ」という作品で表現しているのだというのが私の考察です。
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