本来自己紹介はブログ解説してすぐにやるものなのでしょうか?
それとも誰も見ていないブログなのに最初っから自分語りをする必要はない?
そういうことを気にすべきなのはアクセス数のあるブログの話で、
このたんしログのようにほとんど見てもらえていないブログまであれば、
それほど気にしなくていいでしょう。
というわけで、たんしログを運営している私の自己紹介記事です。
この記事からは何も得られません。
私の自己満足とジョーク欲と指の運動のために執筆します。
真面目なことを言えば自分はどんな人なのか改めて考えてみようという試みです。
なお、上述の通り、
私が一般的には【クソつまらん】や【見てるこっちが恥ずかしくなる】に分類されるようなノリが好きなので、
この記事はそれに準拠していこうと思います。
自己紹介って何だ?
私は賢い人間ではないので、自己紹介という言葉を知っていても
その原理は理解していないし考えたこともありませんでした。
それに気付けただけでも愚かの極みから外れる程度の知性を持ち合わせている気がするので、
さらに賢くなるために自己紹介が何なのかを考えてみました。
自己紹介とは自己の紹介をすることですね。
(しかし「自ら」と「己」を組み合わせるとは自分アピールが過激な文字だ)
ここから分かるのは自分のことを紹介する対象(他人)があり、
なおかつ相手がそれを聞いてくれる=自分に興味があるということです。
考えてみれば自己紹介をする場面というのは、
学校や会社などの組織の一因になる時や
営業とお客さんのように
共通の意識・目的を持ちつつ人に会うときですね。
つまり、自己紹介とは自分に興味を持っている人がいる時にこそ意味を持つものであり
たとえば通りすがりの人に対して、
「ヤァヤァ、実はワタクシこれこれこういう者でして」
などと話しかけようものなら良くて無視、
悪くするとお巡りさんの厄介になってしまうことでしょう。
しかし、ここはネットの深淵を漂う弱小ブログ。
この記事でしようとしていることは、
例えるならば
絶海の無人島から見えもしない日本に向けて大声で喚いているのに等しく
その結果は周りの動物や虫たちがびっくりするだけであり、それはつまり
聞いてくれる人がいない以上は自己紹介とは言えないのではないか?
そんなことを考えてしまったことで、
この記事はもしかしたら自己紹介でも何でもないのではないか?
という考えまで飛躍してしまいました。
困ったものです。
それでも自己紹介と言い張る。
とはいえ、今は無人島あったとしても、
やがては人が訪れて、そのうちリゾート化するかもしれません。
そうなればフロンティアスピリットに溢れたパイオニア達に対して私は自己紹介をする必要があるでしょう。
つまり、だからこれは自己紹介分で間違いないのです。
一応スペック
- 30歳、男(2022年1月現在)
- 髪は短髪、寝癖つかないけど冬は寒い
- 身長:185 体重:95キロ(少し太った)
- 趣味:ミリタリー
- 性格:他人の視線が気になる小心者
もう少し真面目に自己紹介。
伝説的中二病のコピペを踏襲しても古のねらーしか反応できないかもしれませんね。
しかし、このコピペの痛々しさと恥ずかしさは秀逸ですよね。
いわゆる「くぅ疲」に匹敵します。
それはさておき、
東海地方に住んでいる30歳で一児の父親です。
現在は某自動車メーカーの子会社で会社員をしています。
自衛隊経験があり、趣味もミリタリー系とガッツリそっち側の人間です。
こんな記事を書くくらいには回りくどく、冗談が好きです。
どちらかと言えば手段の為に目的を変えてしまうくらいには意思が弱い人間ですね。
このやり方が楽しそうと思えば、当初の方針を変えることも辞さない姿勢です。
学生時代はオタク趣味で、ハルヒやひぐらしがドンピシャの世代でした。
他にも、SIRENシリーズやメタルギアなどのホラーやアクション系のゲームも好きです。
PS2世代ですね。
社会人になってからはアニメやラノベをみる気力が無くなり、
子供が生まれてからは殆ど自分の趣味に時間を割くことは無くなりました。
個人的な楽しみで限定すると、今は週末にお酒を飲むことくらいしかありません。
とはいえ、子持ち妻帯者で家族仲もいいため
趣味の時間が無いからと言ってそれほど苦痛になることは無い環境です。
たぶん独り身だったとしても趣味に時間を使うとは思えませんし。
基本的に理屈っぽい性格をしていますが、脳内のロジックが曖昧な為、
この記事のように論理に飛躍を頻繁に繰り返します。
もはや論理的というより、そうだと思い込んでいる患者の如くです。
実は自分のことを100個書き出すということをしておりまして、
いざ文字として自分を認識するとある種の新鮮さを感じました。
つまり、自分のことについて真剣に考えたことのない人間ということです。
ここだけの話、世界中のみんなが面白おかしく過ごして、
困っている人がいれば、皆で少しずつ手助けし合い、
平準化できればいいのにという小学生みたいなことを願っています。
しかし、だからと言って自分が何か慈善事業をしたりするかと言えば
そんなことは全然無く、
自分は他の人を助けられるほど自分が幸せではないだとか
そんな言い訳を考えるのも得意な怠惰者です。
まとめ:自己紹介は自分を見つめなおさないと出来ない。
要するに、
自己紹介というのは何も考えずにできることではない。
以上がこの記事をつれづれなるままに書き綴って感じたことです。
つまり、この記事は何も考えず、指の運動を兼ねて書き上げた物になります。
物理的にも精神的にも最も身近な自分がどういう人間であるか。
それを伝えるだけの、一見造作もないように思える自己紹介ですが、
いざ人に聞いてもらうという前提が付与されると言葉にするのがいかに難しいかという話です。
そもそも、例えば私だと30年かけて作り上げてきた「私」について、
たかが5-10分程度で読める記事で伝えるなんて無理な話なのです。
自己紹介というのは、これからの付き合いのとっかかりに過ぎず、
文章だけで完結する行為ではないのです。
これからも当然続くと思っていたあの日常が失ってからどれほど貴重だったかわかる現象と同様に、
身近な存在(自分自身)というのは近ければ近いほど逆にぼやけてしか認識できていないのかも知れません。
自己紹介というのは言い換えれば他者に対して行う自分についてのプレゼンです。
プレゼンをするためには資料を集め、内容を精査し、十分に腹落ちさせなければいけません。
なまじ自分がどういう人間かイメージをすることは出来るがために、
分かっている気がする、説明できる気がするというという程度にしか
実は自分を理解していないのではないでしょうか。
大人になり、生活に変化が無くなるにつれて新たな出会いが減り、
自己紹介をする機会というのは無くなっていきます。
自分がどういう人間なのか見返す機会が減るということは、
望まない人間になってしまっていたとしても気付けない
ということになりかねません。
そして、誰にも指摘してもらえず、自分でも気づけないままに、
人から嫌われる人間になってしまえば、
ただでさえ少ない新たな出会いが消滅するでしょう。
そうなったときに残るのは
自分を客観視できなくなった化け物なのかもしれません。
そう、
この記事のように頭の中がしっちゃかめっちゃかなのが私なのです。
そういう自己紹介記事でした。
以上、今後ともよろしくお願い致します。
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