例えばあなたが悪いことをしたときに、罰を受けることは当然と言えます。
しかし、あなたがやった行いに対して、あなたが損をするだけであると割り切って考えれば、
罰を無視してでも悪いことをすることもできるかもしれません。
つまり、罰の対象が悪行をした者だけに留まっている以上は、その抑止力は限定的ということです。
その問題を解決する一つの手段が今回解説する
10分の1刑
です。
概要
古代ローマ軍にて採用されていた罰則であり、極刑に分類されます。
この刑が課されるのは「反乱」や「命令への不服従」などの重罪に限られ、頻繁に実行されるものではありませんでした。
これらの違反行為は様々な国の現代軍においても死刑に処されることもありますし、
戦場では即時の射殺が行われることもありますので、目立って厳しい罰というわけではありません。
それでも、当時のローマ兵に恐れられていたのは、以下の凄惨な処刑方法によるものでした。
処刑方法
反乱や命令違反を行った兵士が所属する部隊全体が罰則対象になります。
対象の部隊単位はコホルス(大隊規模)であり、500前後の人員で構成されます。
対象に含まれるのは、その違反行為に加担していない者も含まれ、
また階級や年齢による免除もありません。
対象人員を10人ずつに分け、その中から犠牲者を無作為な「抽選」で1人選びます。
つまり対象のコホルスが500人で編成されていれば、犠牲者は50人選ばれます。
選ばれた1人に対して、残りの9人には棍棒による殴打や石打(石を投げつける)によって死ぬまで暴行を行うことを強要します。
つまり死刑執行人がいるわけでもなく、今まで寝食を共にした仲間によって殺させるというわけですね。
しかも殺害される人が抽選で選ばれる以上、実際に罪を犯していない何も知らなかった人を殺すことになりえるのです。
極端な例でいえば、上官に対する不服従をした人物が、何もしていない自分の後輩を寄ってたかって即死できない方法で殺すこともあり得るということです。
また、残りの9人も命を失うことはないものの、無罪放免というわけではありません。
食事は当時の主食であった小麦ではなく家畜用の大麦に変更されたり、野営地での就寝は許されず野営地の外で野宿をすることになります。
実例
この刑罰は上述の通り残虐なものであり、兵士には非常に恐れられていました。
また、指揮官側としても戦闘によらずに戦力の1割を失ってしまうことから相当の違反行為がない限り執行したくない刑罰でした。
しかし、実際にこの刑罰が実行された記録が残っています。
- 紀元前471年に、共和政ローマが成立した当初に、ウォルスキ人との戦いで不名誉な戦いをし、最初の十分の一刑が行われた。
- 紀元前71年に、スパルタクスの乱に際して政務官のマルクス・リキニウス・クラッススが執行した。
- 紀元前17年に、ローマ帝国の初代皇帝のアウグストゥスが十分の一刑を施行。
まとめ
この刑罰を一言でまとめるのならば【最恐の連帯責任】でしょうか。
人は自分の行いで他者に犠牲を強いることを嫌います。
もちろん個人差があり、そこら辺の人に迷惑をかけることを何とも思わない人間は古今東西います。
しかし、この刑罰は軍の同じ部隊内の仲間を連帯責任の対象にしているのが肝です。
命を懸けた戦いをする軍では、己の命を預け合う仲間と非常に深い絆で結ばれます
いわゆる「同じ釜の飯を食った仲」ですね。
つらい訓練を一緒に乗り越え、凄惨な戦いを共に生き残り、早く故郷に帰りたいな、と語り合った仲間を自らの手で殺さねばならないのです。
しかも、その対象人物が罪人であるとは限りません。
家族にも勝る仲間を殺すことになれば、驚異的な抑止力を持った罰則でしょう。
現代でこの罰則を実行することは余りに非人道的ではありますが、抑止力だけで考えれば恐ろしい効果を持つことは間違いありません。
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