2002年に作者の竜騎士07氏が発表したサウンドノベルゲーム
ひぐらしのなく頃に
複数の独立した編(世界)で構成をしており、それぞれの世界で多くの人物が非業の死を遂げます。そして一つの編が終わり、次の編が始まると全ての登場人物が何事もなかったかのように日常を過ごしています。
前の話の惨劇は何だったのか。
何故死んだ人が生き返って生活しているのか。
この記事では「ひぐらしのなく頃に」という物語の仕組みについて解説していきます。
※ひぐらしのなく頃に、およびひぐらしのなく頃に解に特化しています。業や卒は含みません。
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メタ的な解説
「ひぐらしのなく頃に」は大きく分けて二つの区分けができます。
- 出題編:鬼隠し編~暇潰し編までを指し、雛見沢で起こる惨劇の数々をそれぞれの主人公の視点から描きます。
- 解答編:目明し編~祭囃し編までを指し、出題編で起きた惨劇を別の視点から見ることができます。
「ひぐらしのなく頃に」という物語がどのような仕組みで進んでいるのかは、解答編の皆殺し編まで語られることはありません。
なぜ生き返るのか
作中で編が変わるごとに全員が生き返っているように見えますが、実態は少し違います。
「ひぐらしのなく頃に」の世界構成は、いわゆる「ループもの」とは少し異なり、作中世界の時間が巻き戻っているわけではありません。
物語のキーパーソン「古手梨花」および「羽入」の主観でのみ「世界のやり直し」が行われているのです。
実は死んだ人が生き返っているのではなく、多数存在する平行世界に古手梨花のみが斜め後ろ向きに移動しているのです。
つまり、まだ惨劇が起こっていない世界でリスタートしているだけということです。
なぜ「やりなおし」が起こるのか
この超常現象は古手梨花だけの力で起きているわけではありません。
雛見沢で信仰されている「オヤシロ様」と同一の存在たる「羽入」の存在が関わっています。
羽入の正体については作中では明確には示されていません。分かっていることは、古の雛見沢、かつて鬼ヶ淵と呼ばれていた時代に来訪してきた神に等しい力を持った人間ではない種族です。
当初は鬼ヶ淵の人々と共存し、羽入自身も村人の青年と恋に落ち、子を成すまでになっていました。しかし、種族としての違いから、やがて敵対してしまいその種族は去っていったという過去があります。
その争いの結果、羽入は人々の罪を許す存在(スケープゴート)としての神になることを選び、今でも雛見沢に残っています。
実は古手梨花は羽入の直系の子孫であり、古手家の長子が7代続けて女であれば、それはオヤシロ様の生まれ変わりであるという言い伝えがあります。
梨花はその7代目でした。
もともと羽入たちは神に等しい存在だったのですが、人間(自身の娘)との争いで力の多くを失っています。
そのため、羽入単体では大した異能は発揮できないものの、自身の生まれ変わりたる梨花が望むことによって、世界を渡り歩くことによる疑似的なやり直しの力を行使できるようです。
そして梨花は数奇な運命から、とある組織に命を狙われることが運命づけられています。その結果、ほぼすべての世界で梨花は殺され、その死を克服するために「やり直し」を行っているのです。
梨花が死んだ後の世界
上述の通り、時間が巻き戻っているわけではないので、死亡した人が生き返ったりはしません。視聴者と古手梨花の視点では時間が巻き戻っていますが、梨花の去った世界は存続します。
例えば、綿流し編や目明し編の終幕後、レナはすべての友人を亡くしたまま生きていき、そして人生を全うするのです。特にこの二つの編では雛見沢大災害(滅菌作戦)が起こらないため、雛見沢全域が生存している可能性が高い世界です。
梨花の死後も世界が続いているのが分かる具体例が祟殺し編のエピローグです。
雛見沢大災害の報告書や、古手梨花殺害事件の捜査報告書が描写されています。
まとめ
「ひぐらしのなく頃に」はもともと推理サスペンス的な要素が強い作品でした。
それが、罪滅し編で過去の記憶を示唆し、皆殺し編で世界のやり直しや、羽入といった人外の存在が出てきたことにより、そういったSF的要素を受け付けられない層も一定数いたようです。
しかし、よく練りこまれた設定であることは間違いなく、その後も現在に至るまで人気は続いています。
「ひぐらしのなく頃に」は、登場人物が信頼関係を築き、互いに協力することによって惨劇を回避して幸せな昭和58年以降を手に入れるストーリーです。
しかし、その幸せを享受できるのは、古手梨花とその世界の人々だけであり、多くの世界では最終的に滅菌作戦が発動され、雛見沢の住人は皆殺しになります。
作品としては描かれていないだけで、物語が終わった後も人々の生活は死ぬまで続いているのです。
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