Netflix(ネットフリックス)で公開されている短編アニメシリーズの一編
小さな黙示録
エンドロールを入れても7分で終わってしまうほど短い短編アニメで、一言でいえばゾンビパンデミックものです。
この記事では、小さな黙示録の紹介と、私が個人的に考えた考察を記載します。
ご意見ご感想は Twitter:@tanshilog まで頂けますとうれしいです。
ラブ、デス&ロボット(LOVE DEATH and ROBOTS)
2019年からネットフリックスで製作・配信開始された短編アニメシリーズであり
大人向けとして制作されたシリーズです。
名前の通り、愛と死、ロボットがテーマに据えられていますが、ジャンルはSF・ホラー・コメディ・アクションと多岐にわたります。
各話で監督や制作スタッフが異なるため、作風も毎回異なります。
リアル思考のCGもあれば、子供向けのような画風のものもあります。
ごく一部の作品を除いて一話完結式で、続話はありません。
とはいえ、長くても20分程度の短編集なので、非常に想像力を掻き立てられる終わり方をする作品ばかりです。
小さな黙示録
上述の通りゾンビもので、ジャンルはホラーになるかと思います。
本作は若干の性描写と出血表現が見られますが、ショッキングやグロテスクな描写は殆ど無く、テンポよく進行しますので、ある意味で爽快に視聴することができます。
本編時間だけで言えば5分程度ですからね。
特徴として、終止俯瞰視点で描写され、特定の人物にフォーカスが当たることはありません。
また、ナレーションやそれに類するセリフもないため、状況の詳細は分からず、推測することしかできません。
つまり主人公と呼べるキャラクターは存在しない作品になります。
それどころか、人間にズームインすることもなく、まるでミニチュアのジオラマが動いているかのような映像になります。
セリフも倍速の甲高いものになり非常に聞き取りにくいため、徹底して「個人の描写」が排除されています。
ストーリー解説
深夜の墓地で、車で乗り付けたとあるカップルがイチャイチャするシーンから始まります。
そのまま墓地の中でハッスルタイムに突入しますが、墓石を倒したり、あまつさえ男の方は10m程ある女神像の顔面によじ登り、腰を打ち付ける動作をします。
やはりというか罰が当たったというべきか、女神像が崩壊し、男を巻き込んで近くの協会に倒れ掛かります。
その際に協会の屋根にあった十字架が落下し、女神像の乗っていた土台に突き刺さります。
男は生きてはいるようですが、左腕が女神像と協会に挟まれ、その場から離れられないようです。
驚いている女の目の前に雷が落ち、ささった十字架が炎に包まれます。
その直後、地中から10体程度の死者が蘇り、二人に襲いかかりました。
女は包囲されて押し倒され、男はその場から逃げられずに左腕を引きちぎられた後に押し倒されます。
二人を食い殺したゾンビたちは墓地から出ていき、少ししてゾンビとなったカップルもそのあとを追います。
場面は変わって、日中の山道でジョギングをしている女性二人組がいます。
眺めの良い場所で休憩していると、ゾンビが現れました。
片方の女がもう一人をゾンビに突き飛ばし時間を稼いで逃げようとしますが、反対の道からもゾンビが現れ、あえなく二人は食い殺されます。
やはりここでも、二人を殺した後はゾンビは去り、やがて二人もゾンビ化して後に続きます。
段々と市街地でのゾンビ襲撃シーンが多くなります。
街中を大量のゾンビが襲い通行人を襲撃したり、道路を埋め尽くすほどのゾンビが車を文字通り転がしたり、救急車が突っ込んだ病院から数百体のゾンビが溢れたりします。
さらに、特定の国でだけ発生している現象ではないようで、世界各国の有名な場所を背景にゾンビの襲撃が描かれ、果ては人里離れた山中の少林寺にまでゾンビは訪れます。
ここでホワイトハウスが映され、「我が国がゾンビを倒す」と誰かの声が聞こえます。
まあ、合衆国大統領でしょう。
そして、複数の戦闘機が街を空爆するシーンに移ります。
ここからゾンビに対する攻撃が激化します。
まるで世紀末世界のように鉄板で装甲化された車でゾンビの集団をなぎ倒し、銃撃し、火炎放射器で焼き払います。
例に漏れず「ヒャッハー」とハイになった状態で虐殺を繰り返します。
それでも組織的な反撃が既にできない人類の劣勢は覆せず、生存者は各個に撃破されていきます。
さらに、複数発生している戦闘の一か所が更なる追い打ちを掛けます。
原子力発電所で籠城していた生存者とゾンビの戦闘において、横転していたタンクローリーを防壁としていたものの、火のついた瓦礫と一緒にゾンビが押し寄せた結果、大爆発。
周囲に放射線がまき散らされます。
その結果、口から緑色の炎を放射する巨大な人型実体が生まれ、ゾンビと共に町へ繰り出しました。
圧倒的な火力を得たゾンビ側は、あっという間に街を火の海にします。
そんな状況下で、各国の首脳陣や軍を動かせる立場の人々は一斉に核ミサイルの使用を決断。
世界中のミサイル・サイロから弾道ミサイルが発射され、宇宙空間を経由して各目標へ向かっていきます。
そのまま視点は上昇し、地球はだんだん小さくなり、太陽系を俯瞰し、銀河系まで遠退きます。
そして、銀河の一部でほんの少し爆発が観測され、終劇となります。
考察
世界は滅んだのか
現在の地球上には13,130発の核弾頭が存在しているとされます。
これだけあれば人類を滅ぼすのには十分でしょう。
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ただし、現存の核兵器をすべて使用しても地球そのものを破壊するのは難しいとされています。
恐竜を滅ぼしたとされている彗星の衝突は、現存する核兵器のエネルギーの1万倍以上であったにもかかわらず、地球は今も残っています。
とはいえ、単純な爆発や熱波による破壊、世界中に降り注ぐ放射性降下物、崩壊したインフラ、それを復旧する人類がほとんど残っていない状況を考えれば人類は滅亡すると考えて良いでしょうね。
ゾンビはどれだけいたのか
描写の中で大通りを埋め尽くすほどのゾンビが闊歩し、集団で車を飲み込んでしまうほどの大群でしたが、主要都市の人口はほとんどがゾンビ化していると思います。
襲撃シーンで少林寺が襲撃されるシーンがそう考える根拠です。
人里離れたという形容ですら物足りないほどの山の中にあり、雲よりも高い場所に位置する少林寺まで、数百では足りないほどのゾンビが押し寄せるのです。
当然山の中ですから周囲で発生したゾンビが来たわけではなく、別の場所から来たゾンビが襲う相手を求めて山を登っていると考えられます。
つまり、人口密集地や街と繋がる道路をもつ郊外には生存者が既にいないことを示唆しています。
すべての国が同じ状況とは限りませんが、強力な治安組織や軍を持つ中国ですらそうなのですから、同じ目に遭うのは時間の問題でしょう。
なぜゾンビが発生したのか
明確な答えは作中で描写されていません。
素直に見るならば、墓場でのカップルの余りにも冒涜的な行いに対して神罰が下ったと考えられるでしょう。
しかし、個人的には神様やそれに類する存在の意志とは考えていません。
むしろ、単純にあそこでああいうことをすると起こる現象と考える方がしっくりきます。
木と木を擦り続けると火が起こるのと同じようにです。
普通の人はそんなことをしないから発見されていなかったけれど、世界の仕組みとして元からある現象なのかもしれません。
ゲームにおける隠しコマンドや裏技のようなイメージですね。
そう思う理由として、神罰によって人間をゾンビ化させるというのは全く意味が分からないからです。
確かに人類は甚大な被害を受けます。
作中のように核兵器も使用すれば地球そのものの環境を破壊することもできるでしょう。
それだけ見れば罰と言えなくもない。
しかし、流石にまどろっこしすぎませんか?
地球上の人類がすべてゾンビになったとして、その後はどうなるのですか?
そんなことができるのなら、もっと直接的かつ、後悔させるために自らの罪を自覚できるような罰を与えるはずです。
もしくは、冒涜された報復と考えても、ゾンビを発生させたからと言って関係のない人間にはその理由がわかりません。
ゾンビ化は人類を冒涜していると言えなくもないですが、素の人類ですらもっと野蛮なことをしています。
こういった理由から、私はゾンビ発生は、一種の自然現象だと考えています。
本作が伝えたいこと
本作に込められたメッセージとして、人類は特別な存在でもなんでもないよ、ということを私は感じました。
言い換えれば、人間の栄枯盛衰には何の特別な意味も込められていないということです。
この世界の結末はゾンビパンデミックを起因としたアポカリプス(黙示録)的最期ですが、人類を滅ぼす決定打になったと思われるのは核兵器の使用です。
作中終盤でも、少なくとも核兵器を使用できる程度には人類組織は成り立っていたと考えられます。
ホワイトハウスではAH-64(対戦車ヘリ)やその他の兵士がゾンビに対して防衛線を展開していました。
生存者は一定数いたのです。
そして、ミサイルの発射は地球全土で行われます。
つまり複数の国で国家運営機能が維持されていたのです。
さらにゾンビ発生のきっかけまで遡れば、状況証拠でしかありませんが、どこかの誰かによる墓場での性行為、墓石や女神像への冒涜的行為が起因です。
つまり、人為的なものでした。
神の視点からみれば、人類が勝手に始めて、自分で終わらせただけなのです。
どんな物事も、誰かの明確な意思によって引き起こされているとは限らず、連鎖的に、なし崩し的に発生することも多いのです。
作中の世界では、名も無き誰かの行いがきっかけで取り返しのつかないことが起きました。
その誰かはこんなことを望んでいたわけではないのに。
顔の映らない誰かの決断で人類の歴史に幕を閉じることになりました。
こちらもそんなことを望んでいたわけではありませんでした。
現実世界にはドラマチックな物語はなく、救いも施しもなく、ヒーローもヒロインもおらず、大抵の人は自分の行いと全く関係のない出来事に人生を左右されます。
この「小さな黙示録」という作品は、自分達のことを特別な存在だと考えている人類のちっぽけな世界が勝手に終わる様を描いているのでしょう。
終わりに
ところで、皆さんは自分のしたオナラを覚えていますか?
人前などでウッカリしてしまった恥ずかしい、いわば特別なオナラを除いて、生理現象として出してしまうオナラをいちいち覚えていますでしょうか?
さらに、そのオナラがなぜ出てしまったのか、身体の中で何が起きてオナラが出ているのかに思いを馳せることはありますか?
私たち個人の身体は、いわば自分という神が支配している世界ですが、オナラというのは取るに足らない現象です。
なぜここでオナラの話をしたかというと、
「小さな黙示録」のラストシーンで起こる小さな爆発の際、聞こえるのはオナラの音なのです。
宇宙全体で見れば、もしくは神の視点で見れば、珍しくもなければ、少し経てば忘れてしまう、取るに足らない現象なのです。
自分を特別視しがちな人類、ひいては人間個人の傲慢さを皮肉っているのかもしれませんね。
ご意見ご感想は Twitter:@tanshilog まで頂けますとうれしいです。
コメント
私の考察は、人間の身体を例えてる動画だと思います。
コメントありがとうございます!
なるほど、体内での現象で、最後のオナラはそれを表しているのかもしれませんね。
もしよければ考察を詳しくお聞かせいただけないでしょうか!
いろいろな考察ができる素敵な作品ですよね。