スポンサーリンク

【子育て】慣れたと思ったら変わってしまう【新生児】

スポンサーリンク
スポンサーリンク

仕事も趣味も、ある程度慣れてきたら新しいことにチャレンジして出来ることがだんだん増えていきます。

それ自体はとても良いことで、自分の成長につながり、周りの環境も良い方向へ変わっていくことも多いでしょう。

しかし、今私は慣れたと思ったら変わってしまう寂しさを感じています。

それは子供の成長による変化です。

2020年の9月に産まれた息子は今では1歳と2ヶ月になりました。

毎日一緒に過ごしていると感じにくいですが、ふとした瞬間に、我が子の成長を感じます。

そして、いつまでも赤ちゃんのままでいてくれないんだと思い知らされます。

きっとそれは子供の成長の節目節目で感じることで、それ自体はとても喜ばしいことなのでしょう。

ただ、それでも胸に湧き上がるこの気持ちは紛れもなく本物なのです。

この記事では、息子の成長によって変わっていったことをまとめたいと思います。

この記事は以下のような方の参考になるかもしれません。

  • これから子供が生まれる方
  • 新生児を育てている方

とはいえ、プロットもまとめず下書きもせず、思ったままに書き殴っているのでMECEでもないし同じことを書いたり繋がってないことも書いているかもしれません。

でも、思っていることを勢いのまま書くことも良いんじゃないですかね。

スポンサーリンク

新生児のいる生活

新生児は驚くほど自分では何も出来ません。

出来ることは息をすることと泣くことだけ。

外界の刺激に積極的に反応することすらできません。

そんな赤ちゃんと一緒の生活は、一言でいえば悪戦苦闘の連続でした。

まず、泣いている理由が分かりません。

暑い、寒い、服がズレている、お腹が減っている、眠たい…

色々な要素があるのでしょうが、どれで泣いているのかは結局は分かりません。

赤ちゃんが泣いたら色々試してみるしかなく、大抵の場合はその努力は身を結びません。

もしかしたら、泣いている本人にも明確な理由なんてないのかもしれません。

最初のうちは本当に疲れました。

心から望んで授かった子どもでも、辛いものは辛いのです。

新生児の一日は、泣いているか寝ているかのどちらかで、ほんの少しだけ泣かずに起きている時間が唯一心が落ち着く時間でした。

妻と協力して家事を分担し、子供の世話をしていました。

それでも慣れてくるもので、最初は苦労していたオムツ替えも、まったく手間取ることなく出来るようになります。

子供の動きから泣きそうなタイミングに気付き、泣いている時のあやし方、抱き方、外に散歩に行く、ドライブに連れていくなど、苦もなくできるようになりました。

変わってきたこと

3ヶ月ほどたった2020年の年の瀬に一つ気づきました。

抱っこをしている際に、ずり落ちてきた息子を抱え直そうと持ち上げたときに、笑ったのです。

3ヶ月立つ間に何度か笑ってくれていたことはあるのですが、再現性のあるものではありませんでした。

しかし、今のは間違いなく「たかいたかい」の動き。

試しにもう一度、しっかりと「たかいたかい」をしました。

そして息子はとても楽しそうに笑ってくれたのです。

今までは反射的に微笑みの形に表情が変わる「新生児微笑」くらいしか見たことがありませんでしたが、はじめて私の前で「社会的微笑」をしてくれました。

首が座ったり髪が生えそろってきたりと、身体的な変化は見てきましたが、精神面の成長はまた別の感慨がありました。

今までは泣いて眠ってミルクを飲んで外界の刺激に反応ではなく反射していただけの息子が、初めて感じたことを泣く以外で表現してくれたのです。

今の生活

一歳を超えた今の息子は、まだ歩くことは出来ませんが、ハイハイでどこにでも行き、つかまり立ちで高い所の物も引きずり落とすようになりました。

頭も良くなり、興味のあることには全てに手を出します。

おもちゃを棚の中に(勝手に)しまったり、スライドドアを開けて玄関に向かうこともできます。

いままで赤ちゃんだなと思っていた息子も、だんだんと子供に成長してきました。

何より、夜まとまって寝てくれるようになりました。

個人差が激しいところですが、21時前に寝た息子は6時ごろまである程度まとまって寝てくれます。

夜中に何度か泣くこともありますが、あやしたり、ドライブに連れていくこともなくなり、こちらとしても睡眠時間が取れて助かっています。

それはそれで助かっているのですが、ふと夜中に目が覚めるとこう思うことがあります。

「もう夜通しで抱っこして、腕の中で寝ている姿を見ることはないんだな」と。

眠たい中ミルクを作り、飲ませてから抱いてあやし、どうにも泣き止まなければ夜中のドライブに連れて行っていたことが、どういうことか、とても懐かしく思えたのです。

やっている時はとても辛かったし眠たかったのですが、半年もそんな生活をしていると身体がそれに適応します。

つまり、夜中に目が覚めやすくなりました。

そんな時には新生児から今までの息子との思い出が思い返されます。

そして、フォローアップミルクもやがて終わり、哺乳瓶を使うこともなくなるんだと、これから変わるであろうことに意識が向きます。

そうすると、今家族で過ごしている時間がとても貴重で、かけがえのない、取り返しのつかない時間なのだと実感します。

こういうことを考えられるのは、生活に慣れて余裕ができたからだと思います。

終わりに

慣れた頃に次の生活に変わってしまいます。

新生児との生活に慣れました。

夜通し子供の相手をし、寝不足のまま会社に行き、帰ってからは子供の世話をし、そして夜通し相手をする。

最初のうちは気が張ってしまい、3日ほど徹夜してフラフラで会社に行ったこともありました。

やがて、子供が泣き出すまでの1.2時間を深く眠れるようになり、さらに寝かせつけも早くなり、睡眠不足が余り辛くなくなりました。

段々と子供が成長するのに併せて親も成長していたのだと思います。

変わっていくのは素晴らしいことですが、やはり寂しさがどうしてもあります。

きっとそれだけ真剣に子供と向き合っていたからでしょう。

この記事を書いている今も、足元で子供が掴まり立ちをし、じゃれついてきます。

その度に操作を止め、一緒に遊び、オムツを変え、ご飯を食べさせ風呂に入れ、寝かせつけをします。

こんな文章をここまで書くのに大変な時間がかかりました。

推敲もしていません。

しかし、自分の人生で何より優先をしている子供との時間をなによりも大切にして行きたいものです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました