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【雑談シリーズ】「若い時の苦労は買ってでもせよ」は売る側の詭弁なのか?

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「若いの苦労は買ってでもせよ」という諺があります。


意味としては「若い時の苦労はその体験が将来役に立つから、自分から買って出ても苦労せよ」ということになるのですが、


しばしば、これは苦労を売る側が儲けるために作った言葉ではないかという意見を聞きます。


あるいは若者をいじめるための口実ではないかという意見がネット上でも発信されていますね。


事実、苦労を売りつけてしまえば売った人は楽になりますし、

俺が若い頃は苦労の連続だったのだから、今の若者も苦労をすべきだ」と

ユニークな老人が喚く口実になるのも間違いではありません。

そういう人ってたまにいますしね。


しかし、苦労を買った側の成長に大きくつながることも、また間違いではないのです。


本記事では、

「若いうちの苦労は買ってでもせよ」があながち間違い・嘘ではない

ことを話していこうと思います。


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人間は段階を飛ばして成長することはできない

自明のことですが、人間というのは機械とは違い、

プログラムを更新したり、身体のパーツを付け替えて新しい機能を得るということはできません。


心も身体も段階を経て成長していきます。


例えば超絶マッチョがしているトレーニングと同じことをいきなり始めたからといって

そのマッチョと同じ体になれるわけではありませんし、

幼稚園児を会社組織で生活させたからといって

いきなり社会人と同じ考え方をできるようになるわけではありません。


段階を飛ばして次のステップに行くというのは非常に難しいことです。

基本的には不可能と思ってもいいでしょう。


つまり

順番に経験を積むことでしか成長はできないのです。


主観的な段の大きさは人によって変わる

上記で段階を飛ばして次のステップに行くことは難しいと書きましたが、

たまに、二段三段飛ばしくらいでステップアップしているように感じる人がいませんか?

もしくは、自分にはできないスピードで成長していく天才のような人を見たことがあるかもしれません。


中には本当にどんなことでもそれほど苦労なくこなしてしまう真の天才もいるかもしれませんが、

大抵はその人が天才だからそう感じているのではありません。


人間は一段ずつしか成長できませんが、

その個人経験値によっては小さな段差をまとめて乗り越えてしまうことができます。


そして、その人にとってそれは一段なのです。


極端な話ですが、子供と大人で客観的には同じ課題に直面したとすると、

おそらく、それぞれの主観で課題の大きさが異なって認識されるはずです。


これは今までの人生で経験してきた差によるもので、

何も大人と子供ほどの年齢差に限って起こる現象ではありません。


求めなくても苦労のほうから向かってくることもある

苦労というのは、自身の成長や挑戦のためのような自発的なシーンだけで起こることではありません。


むしろ人生においては苦労のほうからこちらに向かってくることが大半でしょう。


人間関係や仕事の悩み、自分に非があろうとなかろうと、

厄介ごとが全速力で自分に向かってきて、それを避けることはしばしば困難です。


そうした非常に厄介な物事は、自分の成長度合いに関係なく発生します。


つまり、継続的な成長をしていないと、いざという時に自分が求める結果、

あるいは他者から希望される結果を残すことができないのです。


「若い時」というのが最も重要な要素

若者に苦労することをお勧めするこの諺は、

最初に書いたように穿った見方をすることができます。


そして、その考えはあながち間違いではありません。


立場的に弱い若者に対して面倒ごとを押し付けるのは簡単であり、

若者は苦労をするべきという風潮があれば、さらに押し付けが容易になります。


しかし、本当の意味で言えば、


「若い時」=「挽回が容易な時」


という認識になるはずです。


日本の社会では若いうちの失敗ほど取り返しがつき易いです。


何かあった時に知恵を貸してくれる先輩や上司がいたり、

親を頼れたり、新しい環境で心機一転頑張れるのも若いうちだけです。

ある程度の年齢になると、これらが難しくなるのはいうまでもありません。


もちろん、これらのフォロー体制が自身の周りにあるかは、その人の事情によって様々ですが、

一般的にはこの考え方で通用します。


万が一失敗してしまっても挽回できる若い時にこそ、苦労はするべきであり、

人生で決して取り戻せない若さのある内にお金を払ってでもたくさんの経験するべき

という教えになっています。


年齢を重ねるのに比例して経験も多くしていければ成長につながり、

新たな挑戦も可能になります。


まとめ

どんな物事でも一元的な性質しか持たないということはありません。

この「若い時の苦労は買ってでもせよ」も同じです。


年配者が若者を都合よく使うためにそれっぽいことを言っただけという考え方も間違いではありませんし、

上記に挙げた私の考え方も間違いではありません。


ただ、どちらの考え方を取るのが自分にとって価値があるのかというのは考えなくてはいけないことだと思います。


少なくとも私は、年寄りが自分のために作った言葉だなどとイジケているよりは、

自分の為になりそうな考え方をした方がお得な気がします。


そもそも、売る側が儲かり買った側も得るものがあるのであれば

極めて健全なビジネスライクな関係ですので、

価値ある関係と言えるのではないでしょうか。



受け取り方一つで自分にとってプラスになるようになることもあります。


この「若い時の苦労は買ってでもせよ」という諺も

プラスの教えとして活用してきましょう。


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