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【雑談シリーズ】自衛隊経験者が考える 「命令」 と 「お願い」 の違いについて

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あなたや私が王様独裁者だったりしない限り、

他の人から何かをするよう求められることが往々にしてあると思います。

逆に他の人に何かをするよう求めることも珍しくないでしょう。

自分の要求を伝えるにはどのような方法があり、それぞれどのような意味を持つのか

自衛隊での経験民間企業での経験を元に考えてみました。


始めに言い訳をします。
本記事は、自衛隊での体験と民間での体験を基にした
独自見解です。それあなたの感想ですよね?)
参考文献もなければ、根拠もありません。
こんなことを考える奴がいるんだな、と
暇つぶしとして見ていただければ幸いです


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他者に何かしてほしいときにするのが【命令】と【お願い】

命令とお願い、どちらも日常的に耳にする言葉だと思います。

たとえば組織に属していれば、上司から命令(指示)を受けることは毎日ありますし、

家族と友達と過ごしているときにお願いごとをするのも珍しくありません。


しかし、目的は一緒でも、発生する要素は大きく変わります。


それは、責任の有無です。


命令とは強制力が伴います。

命令とは、権限をもつ人が自身の指揮下にある人に対して、

強制力を持って行う指示のことと定義します。


通常、命令を受けた者(受令者)はそれに従う義務が発生します。


ただし、誰もかれもが命令したり、されたりするわけではありません。


自分の指揮下に無い人には命令を発する権利は誰にも無いですし、

関係ない人からの命令を受ける必要もないのです。


そして、その指揮下に入ること(日本では就職が一般的でしょうか)は自らの意志であることが多いので


命令を拒否することは基本的にできません。


命令通りに出来ないなら、とっとと辞めろと言われるのがオチです。

これは余談ですが、あまりにも倫理観とかけ離れた組織であり

到底命令通りにできないなら、とっとと辞めるのが吉です。


そして、命令できる権利があるということは、

それに付随した義務も当然あります。


暴力などで脅して誰彼構わず命令する状況はありますが、そういった場合はそもそも様々な倫理観が崩壊しているので、ここでは考察から省きます。


お願いとは自発的な行動です。

命令とは打って変わって、相手の心情に訴えかけるのが「お願い」です。

お願いする側には何のアドバンテージもなく

お願いされる側も、それに応えるかは自由です


お願いする側は「これをしてほしい」と訴え、

お願いされる側は「これをしてあげる」もしくは「してあげない」と自らの意志で決めます。

当然強制力などなく、対等な人間関係を基にしてやり取りされるのがお願いです。


お願いにあるのは強制力ではなく、テクニックくらいでしょうか。

お願いを言えるだけの恩義を相手に与えていればお願いは通りやすくなりますし

応える側も、得られるメリットがあれば、お願いを聞きやすくなるでしょう。


つまり、対等なビジネスライクな関係が【お願い】と言えます。

そして、対等であるからこそ、お願いには権利義務などなく、

お願いの受発注とそれによる責任はそれぞれが負うことになります。

自衛隊と民間企業を経験した私が考える【命令】と【お願い】の違いについて

どちらも目的は自分のしたいことをしてもらうという点で共通しますが、

それ以外のところで大きな違いがあると考えています。


先に述べましたように、命令とは権利を基にした強制力であり、

権利と一緒に義務が発生するのは、ここでも変わりません。

命令者の義務とは、


命令の結果 起こったことに対する責任を負うことです


お願いと異なり、命令には受令者の意思が介在する余地はありません。


命令者は各種状況から、自身が所属する組織の為に適切な命令を下すことが求められ、そのために命令する権利を与えられています。

つまり、命令権は私利私欲の為ではなく、大義のために与えられた権利であり、

それに対する義務も当然個人レベルではありません。


たとえば、自衛隊では一般企業に比べて、ずっと頻繁に命令という言葉が出てきます。

自衛隊では、頭脳を担当する幹部(命令者)と身体を担当する下士官以下(受令者)があり、

指揮系統(階級)の上下はあれど、本質的にどちらが優れているということではなく、

それぞれの階級に求められる要素は異なります。


脳みそが早く走れる必要は無く、指先に思考能力など必要ないのです。


つまり、指揮系統に基づき命令するというのは、

人間でいうところの、脳の指示で手足が動くことと変わりありません。


そして、手足が行う悪さというのは、その人(脳)の責任であることに疑問は無いでしょう。

命令というのは、それを人間間で行うことなのです。


たとえば自衛隊では、与えられた命令は絶対です。

自衛官は自身の危険を顧みず、国や国民の利益の為に命令を遂行します。


そして、もし命令通りの結果が残せなかったとき、

受令者は組織内で悪影響を受けるかもしれませんが、

対外的に責任を取るのは指揮階級なのです


それは、現場の人間は上の指示で動いたにすぎず、

仮にそれで被害が出たとしたならば、そのように動かした指示が悪いのです。

(これは、現場の人間が好き放題していいということを意味しません)


さきほど受令者には命令を受ける義務があると言いましたが、当然こちらも権利があります。

それは、責任は命令者に取らせる、という権利です。


厳密に言えば権利と義務は独立しませんので

命令者が責任を取るから、受令者は命令通りのことをするとなります。


ありがちな命令とお願いの混在

どんな組織にも自分の責任を他人に押し付けるのが唯一の特技

といった人はいると思います。


そういった人が指揮階級にいると仕事がやりにくくて仕方ないですよね。


そんな彼らが自己保身のために多用するのが、


【命令】に【お願い】の皮をかぶせることです。




【お願い】という建前にすることで、

自分は命令をしたわけではないので、何かあっても責任は取らない考えます。


しかし、この【お願い】は受けた側からすれば実質【命令】です。


その結果なにか悪いことが起きても責任を取らないのに

いい結果になれば自分の指示の手柄のように認識します。

これをやられてしまっては気に入りませんよね。


しかし、このような混在は意識的な物だけでなく、無意識にも起こり得ます。


自分に自信が無いゆえに、命令を発してあげるべき部下に対して

お願いという形式でしか物を言えなくなるのです


そして、この現象は今まで命令される側だった人にも普通に起こります。

明確な命令をされた経験が少なく、自分が部下を持った時に同じようにしてしまうのです。


今自分が置かれている環境によって考えるべきは違います。


もしあなたや私に部下がいて、

結果に責任を負えるだけの確信があるなら、毅然と命令を発するべきです。

そうでないなら命令を発する権利もなく、上司としての素質もないということになるので

自分のあり方を見直すべきです。


もしあなたや私が命令を受ける立場なら

命令者がどういうスタンスでやっているのか見極め、

自分はそうはならないという反面教師として認識すべきです。

上司を変えるのは難しく、そもそも上位者の教育は部下の役目ではありません。


まとめ

現代社会は人々のつながり、助け合いで成り立っています。

そのつながりは各個人の自己判断では効率よく機能しないため、

ある程度のまとまり(企業や組織)間で形成されます

組織の最小単位は個人であり、円滑に協力体制をとるには、



まとまりごとの統一された意思が必要なのです。


そういった意味では命令したりされたりする関係というのは決して悪いことではありません。


しかし、その使い方は適正である必要があります。


強い力を機能させるには、各個人がその力を正しく認識しなければなりません。

つまり、「こいつの命令は聞く必要なし」という考えが広まれば、

命令というものには何の価値も無くなってしまうのです。


そして、そういう考えは人間の気持ちからくるものです。


ノブレスオブリージュという言葉がありますが、

権力を行使するためにはそれに見合った振る舞いが必要なのです。

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