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【渚にて】核戦争の恐怖と悲しさを描いた映画化もされた傑作小説【あらすじ・感想】

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引用元:小説「渚にて」より
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ネビル・シュート氏が1957年に執筆したポストアポカリプスの小説


渚にて


核戦争の恐ろしさ、悲しさ、残酷さを描き、そこに生きる人たちがどう生き、どう死んでいくのかを描いた小説です。


最近のポストアポカリプスものとは異なり、崩壊した世界や死亡した人間などの生々しい描写はかなり控えめになっています。

しかしその分、作中を生きる人たちの暮らしをリアルに感じられる描写を丁寧に描き没入感と感情移入を深め、読了後はしばらくショックから立ち直れませんでした。


今回は「渚にて」のネタバレ記事となります。


映画化もされています。

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あらすじ

核戦争後の世界

1960年代、第三次世界大戦において核攻撃が多発し、北半球は既に生命が存在できない死の世界になっています。

この大戦は1ヶ月余りで終息しました。


その2年後のオーストラリアに、一隻の米海軍の潜水艦(スコーピオン)が寄港します。

米国は既に崩壊しており、機能している同盟国軍であるオーストラリア軍の指揮下に入ったのです。


オーストラリア軍もその申入れを受け入れます。

この時点で就航可能な艦船が無かったため、戦力の統合を図ったのです。


オーストラリア海軍の「ホームズ少佐」は、連絡将校としてスコーピオンの艦長「タワーズ大佐」の指揮下に入ります。

彼らはオーストラリア海軍の指揮のもと、放射能に汚染された北半球を潜水艦で調査します。

しかし生存者の姿はありません。


陸での暮らし

一旦帰港したのち、彼らは陸で時を過ごします。

核戦争は終結したものの、致死量の放射線を放つ放射性降下物が徐々に南下してきている状況で、そう遠くない将来に地球全土が生物が生きられない環境になります。


そんな中でも、人々の生活は大きくは変わりませんでした。

友人を招いてパーティーを開いたり、街で買い物をしたり、新しく友人を見つけたり…。


タワーズの指揮下に入った当初、ホームズは親睦のためにタワーズを自宅に招いて数日一緒に暮らしました。

その際に賑やかしのために呼ばれたモイラという女性とタワーズは親密になっていきます。


つかの間の穏やかな時を過ごしますが、「スコーピオン」に新たな任務が下されます。

アメリカにて生存者の可能性

高濃度の放射線に汚染されているはずの米国シアトルから、無線でモールス信号が発信されており、その調査任務が決定したのです。


送信主は無線機やモールス信号に慣れていないのか、ほとんど意味を成さない信号を送ってきていますが、少なくとも電力が供給されており、人が生存している可能性があります。


現在シアトルに近づける船舶は「スコーピオン」しかなく、調査のために派遣されることになったのです。


途中一名の兵士が故郷である放射能汚染された港町に脱走するアクシデントはあったものの、

放射線や機雷、戦争による海底の地形変動などの危険を掻い潜り、スコーピオンは発信源の島に到着しました。


防護服を着た兵士が発信源である米海軍の通信学校へ赴くと、ゴミが風に揺れて電鍵を叩いているだけであったことが分かります。

また、発電機が奇跡的に稼働していただけで、メンテナンスもされず間もなく機能を停止する状態で稼働していました。

結局、周囲には死体しかなく、依然として高い放射線濃度であり、生存者がいることは不可能なことが分かりました。


絶望的な世界

帰国後にその旨を報告し、北半球は人類が生存できる環境ではないことが実地調査によって確実なものになったのです。


そしてスコーピオンに乗艦していた技術士官によって航海中も外界の放射線濃度を計測しており、長くても数か月でオーストラリアは致死量の放射線に晒されることも分かりました。


オーストラリアの人々は、放射性降下物が徐々に南下しているとは聞いていたものの、思ったよりひどいことにはならず、なんだかんだ自分たちは無事でいられるのではないかという楽観論もありましたが、実地調査の結果その希望は潰えたのです。


とにもかくにも、その日が近づいてくるまで、人々は今まで通りの生活を続け、日々の仕事をこなし、来年の準備をし、将来の計画を立てていました。


ホームズは軍務を離れて自宅で過ごし、妻と一緒に1歳にも満たない愛娘を育てながら、庭の手入れに余念がありませんでした。


タワーズはモイラとより親密になりますが、米国で亡くした家族に対して操を立て、モイラの好意を認識しながらも一定のラインを保ちます。


終末の日が近づきつつあることを知りながらも、ある種の現実逃避をしながら人々は充実した人生を歩んでいきます。


終わりの時

そして数か月後に、その日は来ました。


オーストラリア内にて急性放射線被爆の症状が多発し始めます。


それはタワーズやモイラ、ホームズ一家も例外ではありません。


苦しみぬいて死ぬことになることは避けられないため、政府から配布された安楽死用の薬が出回るようになります。


ホームズ一家も深刻な健康被害を受けています。

特に幼い娘は嘔吐と下痢で泣き喚くこともできないほどに衰弱してしまいました。

ホームズ夫妻は自らの身体も限界に近付きつつあることを察し、苦しみから逃れるために娘に薬を注射したのち、自身も服薬することで穏やかな死を選びます。


タワーズらスコーピオンの乗員である米海軍の人々も、放射線から逃れられません。

彼らは、最後には合衆国軍人としての死を選び、スコーピオンを出航させ、オーストラリア領海の外で自沈することを決断します。


モイラは最後の出航前にタワーズに会い、一緒に連れて行ってほしいと懇願します。

しかし、軍人として死ぬことを決断したタワーズは、軍務に関係のない民間人を同乗させることを拒否します。

最後まで清い関係でいた二人ですが、確実に気持ちは通じ合っていました。

しかしタワーズは米国軍人としての誇りを胸に、自らの妻と子供たちのもとに帰ることを選んだのです。


スコーピオンは進水し、モイラは残されます。

港にはモイラと同じように乗組員と親しくなった現地の女性たちが、同じようにスコーピオンを見送っていました。


やがてモイラは自分の車に戻ると海を見渡せる場所に行き、タワーズと再会できることを願って薬を飲むのでした。


感想

読了後に私の胸に溢れていたのは、


あまりにも救いがない


という気持ちでした。


作中では核戦争が起こりますが、登場人物たちは直接戦争には関わっていない人物が大半です。


そもそもは中国とソ連の戦争が発端であり、そこに利害のある様々な国が介入した戦争でした。


作中では核兵器技術が安価に広まっており、多くの国々が核保有国になっていたのです。

結果、4,000発以上の核弾頭の撃ち合いに発展し、双方の壊滅という形で1ヶ月余りで戦争は終結しました。


本作は核兵器の恐怖をテーマにしています。


オーストラリアの人々は直接戦争に関わっておらず、遠くの国同士が勝手に始めた戦争で、なぜ自分たちが死ななければならないのかという理不尽に晒されます。


通常の戦争であれば、例えば2023年11月現在も続いているウクライナとロシアの戦争、イスラエルとハマスの軍事衝突は、遠い国である日本人は傍観者でいられます。

しかし、核戦争においては傍観者はおらず、すべての人々が当事者になってしまうのです。


人々がどんなに穏やかに生活していようとも、核の冬は確実に地球全土を多い、将来のある人々に強制的に終わりの日を迎えさせるのです。


核戦争が起きてしまえば、もはや人類にできることはなく、死のリミットが刻々と近づいている状況を最後まで生き続けるしかありません。


ホームズ夫妻には自分たち以外の守るべき未来がありました。

娘のジェニファーは未だ赤ちゃんであり、今後どんどん成長し、やがて自分の人生を自力で歩むはずでした。

最愛の娘は、やがて歩けるようになり、パパママと言えるようになり、親子の絆を深め、友達と遊べるようになり、恋人ができ、家庭を持ち、親になることが出来るはずでした。


生き残った人々は、その未来がすでに失われていることを理屈では理解しつつも、理性では受け入れられません。

娘が這い回れるようになった時に備えてベビーサークルを買い、来年の夏に綺麗な花を咲かせるように庭に花を植え、将来の計画を立てます。

あと数週間もせずに致死量の放射線に晒されることを知っていてもです。


避けられない死の運命を知りつつも、ある種の現実逃避をして「その時」が来るまで希望を自分に言い聞かせて生活するのです。

これは、助かると信じている「フリ」だとも取れます。


出来ることが無い以上、人々の多くは人間としての生活を最後まで続けます。

また、略奪などの破滅的な行為は当然ありますが、他の終末モノの作品に比べて、本作はその描写を最小限にとどめています。


結局、人類は滅亡の道を進まざるを得ません。

だからと言って人間性を失っていいことにはならないのです。


彼らの現実逃避に似た生活は、一見すると健全ではないように思えます。

しかし、こんな世界ではマトモでいる方が不健全なのです。


「渚にて」は、核戦争とはそういった悲しみに満ちた残酷な世界を作り出すのだということを否応なく叩きつけてきます。


核兵器の持つ破壊力ではなく、放射能汚染によるその後の人々の世界が壊れてしまう様を描いています。


作中の人々は、本当に穏やかに平和に暮らしていました。

まるで核戦争などなく、迫りくる苦痛に満ちた死など存在しないかのようです。

そんな人々ですら、そもそも戦争に関係のないそんな人々ですら、一切の救いもなく死を迎える悲しいお話でした。


まとめ

本当に、終盤は胸が張り裂けそうな思いでした。

特にホームズ一家が終わりを迎える時は、私自身の家庭と重ねてしまい落涙しそうになりました。


彼らには何の罪もなく、戦争にも直接かかわっていない国の人々です。

そんな彼らが、勝手に他国が始めた戦争のせいで苦痛の果てに死を迎えることが避けられないのです。

余りに理不尽ですよね。


苦痛から解放されるには自ら死を選ぶしか方法が無く、将来に溢れた我が子を自らの手で殺さなければならないという地獄です。

しかし、それをしなければ極度の苦痛の末に死ぬという、さらなる地獄が待っていることもいたたまれません。


そして、こういった状況が現実に起こる可能性があるというのが真に恐ろしいことです。


幸いにして核戦争はフィクションの中でしか起こっていません。

日本は原爆被爆国ですが、あれは核の撃ち合いとは様相が違いますし、今では数万倍の威力に進化してしまっています。


核兵器の破壊力は甚大なものですが、その後に放出される放射線は時間をかけて地球上のすべての生き物を殺します。


既に存在する核兵器を無くすことは出来ないだろうと私は思います。

自らが持つ矛を手放したところで、他国がそれに同調するとは限らない以上、誰もが進んで無防備になろうとはしないでしょう。


核抑止は幻想の上に成り立っていると言われますが、だからこそ人々は想像力を以てして核の使用をしないという決断をし続けるしかありません。


人間は人間性を失えば終わりです。

人が人らしく生きていれば、核の使用などという恐ろしいことはせずに済むと思っています。

それも幻想にすぎないのかもしれませんが…。

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