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【雑談シリーズ】お前のためを思ってという考えは傲慢か?【お節介】

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「お前のためを思ってのことなのに」という言葉に謎の反発心を覚えることはありませんか?


例えば親や上司が言ってくることは、

大抵の場合においては正しいことが多いでしょう。

少なくとも意図的に間違いを教えてくることはありません。


近しい関係の人は悪意を持って接してくることはほとんどないし、

おそらく本当に自分(私やあなた)のためを思っていることに間違いはずです。


にも関わらず、なぜ反発感を感じてしまうのか。

そして、なぜそういうやりとりが頻繁に起こるのか、

そうならないためにはどうしたらいいのかを考えてみました。


この記事の内容は私の独断です。

心理学を学んだこともなければ、その手の仕事をしているわけでもない者の戯言です。

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初めに結論。

人間は他者には責任を求めるが、自分の責任は自覚しにくいから。

人間は無意識にしろ意識的にしろ【責任】を重視する


「お前のためを思って」に対する反発感の正体は


「お前には関係ないだろ」


という考え、感覚です。

別の言い方をすれば、


「責任取るつもりもないのに俺の生き方について指図するな」


でしょうか。


誰かに指図されると、


その結果に対して責任を取って欲しいと思うものです。


「お前のためを思って」という恩の押し売りをされたにも関わらず、

その発言による責任を取るつもりがないのであれば誰も聞く耳を持ちません。

つまり、たとえアドバイスのつもりであっても

指図と取られた時点で

「責任取れるのかよ」「お前にそこまで言われる筋合いがない」

という反感を生じさせてしまうということです。

なぜアドバイスを指図と受け取ってしまうのか


アドバイスを日本語にすると「助言」になります。

つまり、助けになる言葉というわけですね。


では助けるということはどういうことでしょうか。

他者を助けるというのは、大抵の場合は既に発生している困りごとの解消のためでしょう。


では、明らかに困りごとが発生するのが目に見えている場合に

予め手を出すことは「助ける」にはならないのか?


あるいは、困っている人がその困りごとに無自覚な場合に手を出すことは「助ける」にはならないのか?

もちろんそんなことはなく、助けた本人の主観や第三者目線で見れば助けたことに変わりありません。


問題は助けられた方には助けられたという自覚が全くないということです。


そう言う人は困っていない(困りごとに気づいていない)ので、そもそも助けを求めていません。

そう言う状況での助言というのは


何も困っていないのに恩着せがましく指図をしていく迷惑な行為としか思われません。


つまり、指図をされたと感じるのです。


立場により認識の不一致が発生し、不幸が始まる。

そもそもなぜ「お前のためを思って」口を出してしまうのか考えてみましょう。


余程の捻くれ者でなければ、身近な人に対して、

力になりたい、助けになりたいと思う人が多いと思います。


なおかつ、身近な人には出来ればそもそも困った状態になってほしくないと考えるのが普通でしょう。


そして「お前のためを思って」何かをしたくなるのです。


さらに厄介なことに、

お前のためを思ってと言われて反発心を覚えてきた人も、


立場が変われば自分の子供や後輩のために「お前のためを思って」何かをするのです。


しかし、その際には自分の助言に責任を持とうという意識は少ないと思います。

例えばあなたが誰かに指示ではなく助言する際に、

その人がその通りにしようとしまいと、


その結果に対して責任を負おうという気持ちはありますか?


助言を無視して困りごとが起きたら

「だから言ったのに」

と思うだけでしょうし、

もし助言通りにしたとしてもうまくいかなければ、

「やり方が不十分だ」

と思う程度でしょう。

つまり、アドバイスをする時とされる時とでは責任に対する認識が違うのです。

その結果、「お前のためを思って」の問題が発生し続けるのでしょう。

まとめ


そんなこんなをダラダラと書きましたが、


いろいろひっくり返すようなことも言わせてください。


世の中にはまさに聖人君子と呼べるべき人もいて、

的確な助言を与えてくれて、フォローもしてくれるので

この人の意見は聞こうと思わせてくれる人が中にはいます。


逆に、仮に同じことを言われても

「誰がお前のいうことなんて聞くか、失せろ」

と思う人もいることでしょう。

要するに、


信頼関係によって感想は変わるということです。



「この人の言うことは信頼できるし、フォローもしてくれる」と思えば、

素直に助言に耳を傾けられます。

反発感を覚えられると言うのは煎じ詰めて言えば信用できないからです。

余計なお世話というのは、文字通り頼んでもいないのに余計なことをしているからです。


とはいえ、いざ自分の子供や後輩が困った状況に陥りそうな時は、

頼まれてもいないのに手を出してしまうでしょうね。

そう言う状況で差し伸べた手を払われないように、

信頼関係を気づいていくことが一番大切なことなのだろうと思いました。

そんな冬休みの作文です。

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