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【解説・考察】SIREN 呪いと屍人について【無印・NT】

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不朽の名作であるホラーゲーム【SIREN】


ナンバリングタイトル1.2、および1のリメイクであるNew Translation(NT)の3作が発売されています。


初代1の発売から2022年で19年最新作のNTの発売から14年の月日が経ちますが、未だに「異界入り」のようなイベントが開かれたりするほどに人気を保っています。


SIREN1.2は同じ世界観を共有していますが、


敵キャラクターとして登場する屍人(しびと)は、その出自、性質がかなり異なります。


この記事では1およびNTで登場した「堕辰子」由来の赤い水により発生した死人についての解説と考察、そして魅力について語っていきたいと思います。


ちなみに個人的には、設定が好きなのは1

ストーリーとゲーム性で好きなのは2です。

NTはハワードのカタコトの日本語がかわいいという印象です。


「タスケテ、ヒトガ、シ↑ンダ」


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ご意見ご感想は Twitter:@tanshilog まで頂けますとうれしいです。


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SIRENとはどんなゲームか


約1,300年前に空から堕辰子(だたつし)という神様の一種が、とある村(羽生蛇村)に落ちてきました。


当時の村は飢饉に襲われており、数名の村人は飢えのあまり堕辰子を食べてしまったのです。


その結果、さらに上位の神から怒りを買い、堕辰子を食した人と村自体が呪われることになってしまいました。

堕辰子を食べた村人の一人である八尾比沙子は永遠の命という呪い、村は特定の時間(堕辰子が落ちてきた↔堕辰子が倒された)をループする呪いがかけられます。


ちなみに、これは堕辰子を食べられたことによる怒りではなく、人間ごとき下等な存在が神の世界の存在を食したことに対する怒りとのことです。

上位存在の懐の深さをもってしても許されない大罪だったのでしょう。


そしていつからか、その村では神への贖罪として生贄の儀式が執り行われるようになりました。


しかし、本編中で行われた儀式は失敗。


それにより村は丸ごと異界に飲み込まれる大災禍に見舞われることになるのです。


ゲームSIRENは異界にのまれてしまった人々をめぐる群像劇で、サバイバルホラーゲームに分類されます。


複数の主人公(操作キャラ)の目線を通して、主要な敵である屍人の攻撃をかいくぐり、謎を解いていく構成となっています。

屍人についての解説


村中に存在する赤い水(堕辰子の血液)を一定量体に取り入れてしまった人間が変異した存在です。


赤い水は傷口からの侵入や経口摂取はもちろん、皮膚への付着により体内に取り込まれ、吸収量が一定量を超えるか、微量でも赤い水を吸収した人間が死亡した時点で屍人へと変異します。


厄介なことに、異界に取り込まれた後の羽生蛇村では雨や池などのほぼ全ての水が赤い水に置き換わっているため、屋内に引きこもるなどしていない限りは微量とはいえ赤い水を吸収してしまう可能性が高まります。


ちなみに、屍人が目や鼻、口から血を流しているのは体内に入った赤い水に「ところてん式」に押し出された元々の血液です


屍人となった直後は生前の記憶をおぼろげながらに有しており生前の強い想いに執着したり、道具の使用が可能であったりと日常生活を模倣します。


彼らは神の存在(堕辰子のいた世界)を明確に知覚しており、神の世界と一体化できるという結末が約束された世界であるため、その素晴らしい世界を多くの人々に教えてあげようと積極的に人間に赤い水を取り込ませようとしてきます。


具体的には、

赤い水を飲ませるために押さえつけに来たり、

傷を作って赤い水を吸収させようとしたり、

死なせて急速に屍人化させようとしてくるのです。


あくまで彼らなりの善意に基づいた行動によるところが他作品の敵キャラクターとは一線を画していますね。


上述の通り、最終的に屍人は堕辰子のいた神の世界に迎え入れられることになります。


異界化した羽生蛇村を取り囲むように村の周囲には赤い水で出来た海が存在しています。


その海こそが神の世界であり、日に四度なるサイレン(堕辰子の鳴き声)に導かれて屍人は赤い海へと歩を進めます。

これを海送りといいます。


この時点で神の世界と一体化する準備ができている者はそのまま戻ってきませんが、準備が整っていない者は、より変異が進んだ姿となって赤い海から異界の羽生蛇村へ戻ってきます。

これを海還りといいます。


屍人は非常に高い生命力を持っており、宇理炎と呼ばれる神器でのみ完全な無力化が可能です。

そのため人類が保有している銃火器や爆発物、刃物、鈍器による攻撃では一時的に動きを止められるものの、死亡することはなく、必ず再生します。


赤い水が体内に入ることで、屍人化する前でも高い治癒力を発揮しますが、


屍人化は不可逆的な現象であり、元の人間に戻す手段はありません。


基本的には彼ら屍人は生前の生活を模倣しつつ、堕辰子の復活に向けて降臨の場(日の光が当たらない場所)を作り、自身が神の世界と一体化できるその時まで異界で生活を続けています。


そして、生きている人間がいれば、自らの側へと招き入れるために全力のおもてなしをしてくれるのです。


考察


SIRENシリーズは意図的に謎を謎としたまま残す構成となっており、ストーリーや設定についてはプレイヤーの考察にゆだねられるところが多い作品です。


しかし、非常に難解な設定が幾重にも織り込まれており、一筋縄ではいきません。


この記事では以下にて私の考察モドキを書かせていただきますが、これは所詮は下手の横好きであり、考えの足りないところや見当違いなことを言うかもしれません。


でも、個人考察をする記事なんてこんなものでしょう?

考察なんて格好つけているけど、しょせんは妄想です。

でも好きでやってるのですから、とりあえず自分が楽しければOKと開き直って進めます。


他の生き物は赤い水の影響を受けるのか。


SIRENの舞台になる羽生蛇村は自然豊かな環境であり、周囲には植物を始め人間以外の生物が多く存在しています。


しかし、屍人化するのは人間のみなのは何故なのでしょうか。


人間以外の生物の代表例として、その辺に生えている草木があります。

彼らは赤い水の雨でも傘すら差さずに雨に打たれ続けていますが、周囲の植物が変異しているようには見えません。


植物だから違うだろというのであれば、例えば羽生蛇村にはハニュウダカブトという村固有のカブトムシが生息しており、NT作中にてフィールドに存在しています。


このカブトムシがいるということは、他の昆虫も異界化した羽生蛇村で生息していると考えるべきですが、彼ら昆虫類も屍人化しているような描写はありません。


もっとクリティカルな例を挙げれば、1に登場したケルブという盲導犬がいます。

(NT未登場)

ケルブは作中で死亡してしまうのですが、同じく屍人化する様子はありませんでした。

犬は哺乳類ですので草や虫よりは人間に近い構造のはずですが、影響ありません。


つまり、赤い水による屍人化は人間のみを対象にして発生する現象であると考えられます。


なぜ屍人化するのは人間だけなのか。


上述のように人間以外が赤い水の影響を受けないことを考えると、人間のみをターゲットにした現象であると仮定することは出来ます。


では、何故人間だけを狙ったのでしょうか。


答えは簡単、堕辰子を食べてしまった存在だからです。


上位存在からしてみれば、人間なんて生き物は個体の識別も出来ない程度にちっぽけな存在なのは想像に難くありません。


呪いを受ける対象になったのは羽生蛇村そのものと堕辰子を食した八尾比沙子(NT:アマナ)のみですが、まとめて人類という種に対して堕辰子を食した罪深い種族だと認識したのでしょう


もしかしたら、人間に興味が無さ過ぎて、羽生蛇村の外にも人間が生息しているなんて知らないのかもしれませんが。


いずれにしろ、以下の要素は事実として存在します。

儀式の失敗による村の異界化と、それと同時に伴い発生する赤い水。

・赤い水によって人間は屍人に変異する。

屍人はやがて神の世界と一体化する。


これらの事実から、以下の二つの仮説を立てました。


パターン1:上位存在からの謝罪。

現代を生きる人間は堕辰子を食べた人間とは関係はありません。

それに思い至った上位存在は、無関係な子孫にまで呪いの影響を残してしまったことに対する謝罪の意思を込めて神の世界へ導いたと考えるのはどうでしょう。


なぜ異界化させる必要があったのかという疑問に関しては、次のように考えられます。


人間世界と神々の世界にはもともと接点が無く、いかに神様といえども何のきっかけもなく人間世界に干渉することは出来ません。


そのため、儀式の失敗により人間の世界に干渉できる条件が整うまで何もできなかった。


そして、満を持してかつて呪いをかけてしまった羽生蛇村全域を神の領域である異界に引き込み、神の世界への入り口である赤い水を取り込ませようとした。


ただし八尾比沙子、堕辰子を食べたてめーは駄目だ。永久にループする世界の橋渡し役になれ。


こんな具合でしょうか。


…ええ、もちろん私も思っていますよ。


こんなマヌケな性善説的ご都合主義な訳が無いことくらい。


こちらは指慣らしの運動で、次のパターンの方が本命です。


パターン2:呪いの次の段階。

屍人が神の世界に招き入れられるのは間違いないのでしょう。

ただし、それが我々の考える極楽浄土であるとは限らないというのが肝です。


謝罪の為の儀式を続ける限り、許されることはありませんでしたが、これ以上ひどい状況になることはありませんでした。つまり従来の呪いは継続している状況です。


そして、儀式を失敗させてしまった際には、ある種の罰として村ごと異界に飲み込み人間を屍人化させ、最終的には神の世界に同化させます。


しかし、罪人である人間を神の世界に迎え入れることのどこに神々にとって都合の良いことがあるのでしょうか。


もし神が人間に対して慈悲深いのであれば、生きるために止むを得ず堕辰子を食べてしまった人間を呪うことなどしないでしょう。


堕辰子が人間の世界に落ちてきたのは完全にあちらの問題なのですから人間は関係ありません。


屍人化した人間を神々の世界に取り込むことが神の意志であり、

そして迎え入れる対象が罪人である人間ということは、極楽浄土というわけではないのでしょう。


つまり、呪いの次の段階に入ることを意味しているのだと考えます。


そもそも論ですが、この贖罪の儀式については完全に八尾比沙子の思い込みによって実施されているものであり、


儀式の成功によって自分や羽生蛇村が許され、呪いが解かれるという根拠はどこにもないのです。


堕辰子を食べてしまった自分の血縁者を実としてささげ、堕辰子復活のための儀式を行うことで許されるに違いないという思い込みで、1,300年にもわたって生贄の儀式を行っていたにすぎません。


最終的に堕辰子は復活こそしたものの、だからといって呪いが解かれる描写は無く、村は異界に存在し続けました。


そもそもこれは人間には知覚できない存在である神からの呪いなのです。

八尾比沙子が把握している呪いの内容がすべてだなんて保証はどこにもありません。


贖罪(と思い込んでいる)の儀式だって、どんな作用を及ぼしているのか、実のところは誰にもわからないのです。

もしかしたら、この儀式によって本当に許されるのかもしれないですし、これ以上ひどい呪いにならないだけかもしれません。

もっと悲観的な考え方をすれば、堕辰子の復活と呪いは既に別のベクトルの話であって、何をしようとしまいと結局は神の世界に取り込まれるのかもしれません。



まとめ


ことSIRENという作品では、明確に明らかになっている要素以外について「かもしれない」を言い始めると切りがないのです。


それでいて非常に作り込まれた設定と登場人物たちが織り成す物語によって、初代が発売されてから20年近くたった今でも高い人気を誇っているのでしょう。


上述した私の考えは個人的な物であり、こうだったら面白いかもしれないなという妄想を書き綴ったものです。


なので、もっと深く考察されている方からしたら「こんなの考察じゃねーよ」と思われるかもしれませんが、ご容赦願います。


なお、SIREを考察するにあたって、ある一定の答えを示してくれる公式解説本があります。



一時期は絶版しており、私が購入した際はオークションで1万円以上もしたのですが、再版されたことにより通常価格で購入可能になっています。


このサイレンマニアックスという解説本は、ゲームの攻略本ではなく、設定解説および製作陣のインタビュー記事などがびっしりと載っており非常に読み応えのあるものになっています。


当然、この本でしか読めない情報が満載されており、普通にゲームをプレイしているだけでは決して分からないレベルで世界観を解説してくれています。


SIREN好きで、この本を読んだことが無い方がいれば是非読むことをお勧めします。


というか、読んでください。


SIRENの世界をさらに深く楽しめますので。


ところでSIRENの新作販売は権利関係や諸々の事情で絶望的とされています。


しかし、ファンの一人としてどうあがこうとも希望を捨てずに待ち続けます。


悠久の時を生きるSDK(あとハワード)の辛さに比べたら、希望を持って待ち続けるのくらいへでもないでしょう。


ご意見ご感想は Twitter:@tanshilog まで頂けますとうれしいです。

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