社会人であれば上司からの指示のもと業務を遂行し、なおかつその業務を達成するために別の誰かに依頼をすることも珍しくないでしょう。
その際に、こんなことが起こりませんか?
「朝に依頼した件、そろそろできたか?」
「他の仕事があったので、まだ着手してません」
「早めにって言っただろう! そしたら優先してやれよ!」
(じゃあ最優先って言えよ)
このようなことは新入社員でなくとも頻繁に発生するのが社会人です。
この現象はなぜ起こるのかというと、認知バイアスの一つである、【ソリテスパラドックス】が働くためです。
本記事では、仕事および日常生活のあるあるをテーマにソリテスパラドックスについて記載します。
この記事は以下のような方におすすめです。
- 上司からの指示を誤解してしまう。
- 期待されたことができず評価されない。
- 部下が指示通りに動かない。
- 家庭ですれ違いが発生している、
ソリテスパラドックスとは簡単に言うと何か
別名、砂山のパラドックス(paradox of the heap)と呼ばれるものですが、どちらかというとこの別名のほうがメインのようです。
何故これをソリテスパラドックスと呼ぶかというと、砂山を意味する「heap」を古典ギリシア語にするとソリテス(σωρίτης、sōritēs)と呼ぶからだそうです。
この記事ではカッコイイのでシンプルで見やすいのでソリテスパラドックスと呼称します。
ちなみに、なぜ砂山のパラドックスと呼ばれるかというと、
砂山から一粒の砂を取り除いたとしてもそれは砂山であることに変わりはありませんが、
その砂山から一粒の砂を取り除くのを繰り返した場合、最後の一粒になったとしてもそれは砂山なのか、
というパラドックスが発生することに由来します。
他にもハゲ頭のパラドックスなどの呼び名もありますが、
要するに定義や境目が明確に決まっていないものをどのように扱うべきなのかという問題を指します。
業務での発生ケース
私は社会人になってから10年近く経つのに未だにやってしまいがちなのですが、
抽象的な指示を自分の思い込みだけで受けてしまいます。
上司の曖昧な指示に対して、単純にやるべきことだけを聞いて理解したつもりになり、
指示されたことを何のためにどの程度の精度で何時までにやれば良いのか
という具体的な要素を明確にせずに引き受けるのです。
結果、求められていることと私が行ったことに齟齬が発生します。
これは、曖昧な指示を受けるなという話ではありません。
曖昧な指示を受けたら上司が期待していることを明確にするのです。
以下にて私の失敗談を基にお話しします。
認識が不足方向に偏るケース
私が今の会社でやってしまった事例に当てはめてみます。
まず、私は自動車関係の設備メーカーの調達業務をしているのですが、
営業や設計、統括部門から見積依頼を受けることが多々あります。
その他の業務でそれなりに忙しい私は、忙しさに甘えてそのまま製品や加工品の見積を取っては担当者に送っていました。
すると、重要な案件の使用部品なのに普通の価格を取ってくるやつがあるか、と怒られたのです。
考えてみれば分かることですが、調達としては最安かつ最短で入手するための動きをするべきで、
そのために必要な情報を得てから取り掛かるべきなのです。
依頼者が何の説明もせずに型式と図面だけ送ってきたなんてことは言い訳にはなりません。
結果として見積の取り直しが必要になりました。
別の記事でも書きましたが、特値を出すためには相応の準備と打ち合わせが必要になるので実に無駄な動きをしたものです。
はじめから、
この見積は何のために必要で
どういった精度で取得する必要があるのか
という基本的な情報を担当者に一本、電話確認すれば5分もかからず済んでいたのです。
それ以来、忙しくても面倒臭くても、
依頼内容が具体的でないものは腹落ちするところまで確認するようにしています。
こんなの当たり前だろと思う方もいらっしゃるでしょうが、
実際にここまで考えずに仕事をしてしまいがちな人がいるのも事実です。(私だけ?)
これが仕事におけるソリテスパラドックスが不足側に影響した事例となります。
認識が過剰方向に偏るケース
逆に、求められていること以上のことをしてしまう場合もあります。
お客さん相手であれば期待を上回ることは良いことでしょうが、世の中の全ての物事が同じという訳ではありません。
あるとき、以前担当した案件の実績原価と実施した原価低減策をまとめて報告するよう指示を受けました。
指示をくれた人が部長級の方だったので、経営層に説明するための資料だと(勝手に)思い、
当時の記録を引っ張り出しては、何をどのタイミングで実施し、するとこういうことが起き、それを是正するためにこれこれこういうことをした結果、いくらの低減を達成しました、
というのをメチャクチャ綺麗な資料にまとめました。
そのために他の仕事を一度止めて、さらに残業までしていたのです。
すると依頼者からは、
すごくありがたいけど、ここまでやらなくてよかったのに。
と言われたうえに、追い打ちとして直属の上司からは
無駄な残業をするんじゃない
と言われてしまいました。
依頼者の目的は過去の案件を包括的に把握したいだけだったので、別に私の動きの細部まで知りたかったわけではなかったのです。
極端にいえば手書きの箇条書きでもいいほどでした。
結果、過剰な品質のものを
他の仕事を止めて、さらに残業までして作り上げてしまいました。
完全に給料泥棒です。
これが、他にやることがないくらい暇なときならば良かったかもしれませんが、結局は無駄な仕事をしているのです。
相手の求めていることを明確化することは、最大の効果を最短の時間で達成するために必要不可欠なのですが、
ソリテスパラドックスが働くとそこから遠のいた結論を出してしまうことがあるのです。
おまけ:日常生活での発生ケース
言うまでもなく、この手のすれ違いは、会社や仕事場だけで起こる現象ではありません。
むしろ頻繁に起こるであろう状況としては、家族、特に夫婦の会話でしょうか。
こちらは仕事と違い、良くも悪くも距離の近い関係ですので、与える影響の大きさも違います。
意味もない諍いに泣いたあの時を作り出さないために、仕事よりも注意が必要かもしれません。
こちらも私の体験談を基にお話しします。
残業で帰りが遅くなるとき、家にいる妻にLINEで「ちょっと遅くなる」と伝えました。
私の認識では、ちょっと遅くなる=1,2時間遅くなる程度の認識でしたが
人によっては30分程度と捉えていることも珍しくありません。
結果、帰宅すると妻に「遅すぎる」と怒られました。
妻の認識では30分程度の遅れなら、子供の入浴と寝かせつけは夫(私)に任せようと考えていたようです。
ちなみに普段から私が夜の子供の世話を担当していますので、これは妻の怠惰ではありません。
1時間くらい経ってから、どうやら私の認識と自分の認識が違っていたらしいということに気付き、そこからようやく子供の寝かせ付けまでを始めたとのことでした。
曖昧な意味を持つ言葉を使用する際は、互いにその言葉が示す範囲を共有し承諾を取り付ける必要があります。
上記の場合、「1時間は遅くなる、もしかしたら2時間くらいかかるかも」と伝えておけば、
妻は私の帰り時間を想定した動きが取れていたはずで、
つまり、子供を風呂に入れて寝かせつけ、自分は夕食を取れたのです。
ここで、妻に対して「それはお前の勝手な思い込みだろう」とキレ返すのは簡単ですが、それによって得られることは少ないでしょう。
相手を変えるより、自分が変わる方がはるかに確実ですし、この程度の心がけは、さして苦痛でもないでしょうから。
まとめ
人間の認知バイアスというのは、進化の過程で人類が生存のために身につけてきたとする説があります。
「利己的遺伝子論」と呼ばれるものなのですが、この理論と認知バイアスを絡めた話は以下の書籍に詳しいです。興味がありましたら価格も安いためおすすめです。
簡単に言えば、
人類に限らずあらゆる生命は生きるために不利な要素を取り除き有利な要素を伸ばしてきているはずなので、現在に至るまで各生物が持っている要素は生存のために(少なくとも一時期は)有利な要素しかないはずだ、
という理論です。
この有利不利な要素は子孫への継承という形で洗練されます。
つまり種として身体的精神的に進化するということなのですが、
逆に言えば
一個体の中で現在持ち合わせている要素を変えることは困難です。
しかし、根本から変えることはできなくても、このバイアスに気づいた後に考え直すことは可能です。
条件反射的に考えを止めてしまわず、一歩立ち止まって改めて考えてみることが大切なのでしょう。
まあ、言うが易し行うが難しと言う言葉もあり、私自身もそれができているわけではないのですが。
それでも、こういったことを意識するかしないかでは、後々大きな違いが出てくるかもしれません。
ちなみに、この記事を書くにあたって下記の書籍を参考にしています。
タイトル通り、人間が持つさまざまな認知バイアスをわかりやすくイラストを交えながら紹介してくれています。
参考文献も記載されていますので、興味のあるバイアスがあればさらに深く学ぶこともできます。
私の拙い説明じゃ全然ワカランという方は是非本書をご購入ください。5億倍は分かりやすいとおもいます。
学んだことを自分の体験に当てはめて考えるのも楽しいです。
以上、この記事が誰かの役に立てれば幸いです。
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