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「ザ・ファブル」
殺しをしない殺し屋「佐藤明」が一般人に紛れ込み生活をするという作品です。
この記事では、佐藤明が「殺しをしない殺し屋」になった理由を解説します。
佐藤明とは
本作の主人公で、暗殺を生業としている青年です。
とある暗殺組織の構成員であり、その中でもトップクラスの実力を誇ります。
大抵の場合において、敵を6秒以内に無力化する技術を持ち、
徒手格闘やナイフなどを使った近接戦闘から、拳銃を使用した銃撃戦まで幅広くこなすプロフェッショナルです。
自分の正体を隠しつつの圧倒的な仕事ぶりから、明の存在は半ば都市伝説化し、ファブル(寓話)という渾名が付くほどでした。
殺人に対する罪悪感は殆ど無く、「プロとして」仕事に当たることを信条としているような描写があります。
とはいえ全くのサイコパスやシリアルキラーというわけでもなく、殺しを楽しんだことはありませんし、基本的には情に厚く、人助けを嫌うこともありません。
変わった性格をしていることは否定できませんが、普通の感性も持ち合わせています。
たまたま殺しのセンスが高く、たまたま殺し屋に育てられただけの、普通の青年です。
とはいえ特異な育ち方から、一般常識の大半を身に着けていませんが。
生い立ちについては不明なことが多く、「佐藤明」という名前も組織が用意した偽名という有様です。
「殺し」を禁じられた殺し屋
作中冒頭に、組織のボスから指示がでます。
ここ数年は殺しすぎた。
足がつくのを防ぐために、1年間は潜る(活動しない)。
ここから1年間は一般人として生活しろ。
その間の殺しは禁止。破れば俺がお前を殺す、と。
基本的にはボスの指示には服従する明はそれに従い、組織とつながりのある暴力団の所有する一軒家で生活を始めます。
「プロとして」一般人の生活に溶け込むことにする明の空回りっぷりは見ていて笑えることもあります。
ともかく、一般人として普通の仕事を始めることにした明は、そこで生涯の伴侶となる女性と出会うのですが、それはまた別のお話です。
何故「殺し」を禁じられたのか。
上述の通り、組織の活動が表面化することを恐れたボスが、事態の鎮静化を図るために定めた休業期間という面もあります。
ただし、それだけが目的ではありませんでした。
真の目的は、明の殺しのスキルを鈍らせることだったのです。
ボスは明の育ての親でもあり、幼少のころから戦闘やサバイバルに関するスパルタ英才教育を施してきました。
その結果、ボスすら凌ぐ暗殺者としての才能を発揮するようになり、瞬く間に組織でもトップクラスの実力を示すようになります。
しかし、時代は変わります。
人々の大半がスマートフォンを持ち歩き、誰でも映像の撮影やネット上での共有が可能になる時代になりました。
加えて。街中のいたるところに高感度の防犯カメラがあり、ネットワークでつながり、AIで特定の人物の検出なども可能になってきました。
つまり、今の世の中では明の古いやり方が通用しにくくなったのです。
誰かのスマホでたまたま撮影されるかもしれない。
どこかにある監視カメラに映りこんでしまうかもしれない。
明は隠された監視カメラに気付けるほど感覚が鋭敏ではありますが、絶対とは言い切れません。
明の姿が露見すれば、組織全体に害となる可能性があります。
仮に明に仕事を与えなかったとしても、突出した殺しのスキル「しか」持たない明を持て余し、ひいては組織にとっての荷物になる可能性もありました。
ボスは、この鋭すぎる明の殺しのセンスを少しでもナマクラにするために一般人としての生活をさせていたのです。
明が一般人として溶け込める経験を積めれば良し、
殺し屋という生き方を捨てて一般人として生活できれば尚良し。
つまりボスは明を手放そうと考えていたわけです。
ただし、もし一般人の生活を拒絶するようであれば、ボスの手で明を殺処分しようとも同時に考えていました。
本来このような組織の長であるなら、不要になった明を殺してしまうのが一番確実です。
しかし、幼少から育て鍛え上げてきた明に対して、ボスも情が移ってしまっていたのでした。
まとめ
殺さない殺し屋というキャッチコピーの本作ですが、
殺さない「だけ」で、暴力の一切を手放したわけではありません。
作中に登場する明の敵たちは「死にはしない」程度の傷は遠慮なく負わされ、元の生活に戻るのが困難になることも珍しくありません。
明が最も得意とするのは「殺すこと」ですが、その結果に至る攻撃や追跡、潜伏なども極めて高いレベルのため、作中において明が窮地に陥ることは全くありません。
傷を負って出血することも珍しいくらいです。
基本的には痛快なストーリーですが、暴力団などの反社が主要に登場する都合、見ていて気持ちの良くない描写も散見されます。
苦手な人は苦手かもしれませんが、基本的には勧善懲悪を楽しめる作品だと思います。
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