良かれと思ってやったことで怒られた、上司から理不尽に怒られている、嫌いなあの人と同じグループになった、、、
人生においては小さなことから大きなことまでネガティブなイベントが目白押しです。
禍福はあざなえる縄の如しと言うくらいなので、
良いことと悪いことは交互に訪れるはずなのですが、
それでも嫌なことばかり起こってるんじゃない?
そう思ってしまうほどに、人間の脳みそというのはネガティブな情報に重きを置きます。
この仕組み自体は生存のために有利だったのでしょうが、
こと現代社会においては悩みの種です。
そこで登場するのが、皆さんご存知 愚痴 という存在です。
愚痴ってそもそも何だっけ
愚痴というのは辞書的には
「言っても仕方ないことを言って嘆くこと」とされています。
愚痴を言ったとしても、世界の何かが変わるということはありません。
では何故ついつい愚痴が口をついてしまうのでしょうか。
進化学の一つの理論に【利己的遺伝子論】という概念があります。
利己的遺伝子論とは、煎じ詰めて言えば
生物が持つあらゆる要素は、生存に有利であるから受け継がれてきている
とする考え方です。
つまり、愚痴その物ではなく、愚痴を言ってしまう人間の習性にも何かメリットがあるはずです。
愚痴を言うと何が起きるか
愚痴を言ったことのない人って、実際どのくらい居るのでしょうか。
一般的に愚痴は余りするものではないとされていますし、
私もそう思うので積極果敢に愚痴を言うようなことはしません。
しかし、愚痴を言えば心がスッキリする気がしますよね。
そのスッキリはなぜ感じるのでしょうか
1. 漠然としたモヤモヤが具体化される
人間の頭の中というのは、思ったより漠然とした抽象的な考えに支配されています。
自分の考えや気持ちをうまく言語化できないけれど、この気持ちは本物なんだ!
こういう時は頭の中が具体化できていない状況です。
そして愚痴というのは大抵は別の誰かに聞いてもらうものです。
つまり、言語化する工程がどうしても必要になってきます。
すると何が起こるのか。
言語化の為には抽象的なイメージを具体化する必要があります。
他人に自分の思いを伝えたいと思った時は、以下のような内容にまとめます。
- 誰(あるいは何)が
- どうなって
- その結果何があり
- 自分はどう思ったのか
つまり、自分が不満に思っていることを具体化させ、言葉として腹落ちさせる工程が含まれているのです。
これは現状の把握と、問題点の洗い出しを行っていることと同義であり、
事態の解決、もしくは進展に寄与するものと言えます。
2. 情報の共有がされる
人間もアニマルだった時間が長いため、本能レベルで生存に必要な要素が刻み込まれています。
例えば、不快(危険)な存在の共有というのは非常に役に立つ情報だったことでしょう。
それの変形が不快なことの共有=愚痴だと思います。
自分は今どんな状況にあり、それによってどうなっているのか
そういうことを仲間と共有することで、安心感を得ているのだと考えられます。
逆に人の愚痴や困りごとを聞くのが好きな人も一定数いますよね。
彼らは愚痴を聞くことで、自分の知らない不快な存在についての情報を知ることができます。
これもまた情報の共有であり、生存のために有利な要素なのは間違いありません。
なぜ愚痴は嫌われるのか
上記のように愚痴を言うことにはある程度のメリットがありますし、
それを聞くことで得られるものもあるはずです。
しかし、愚痴ばかり言っている人は一般的には嫌われます。
それはなぜかと言うと、
基本的に現代社会においては、愚痴で得られる情報に価値がないからです。
人が野生で生きていた頃には、確かに不快な存在の情報を得ることが有利だったこともあるでしょう。
しかし、文明が進歩し、ある程度の生存の確約がされている現代において、
不快な情報は文字通り不快でしかありません。
それの情報で得られるメリットはなく、
逆に知らなくてもいい不快感を押し付けられるデメリットにしかならないのです。
さらに、愚痴ばかり言う人は愚痴を言うことが目的になっているケースがあります。
上述したように、愚痴を言うことで問題を明確化し、前進のきっかけになるというメリットはあるのですが、
愚痴を言うことにより得られるスッキリ感の虜になってしまう人も中にはいます。
そう言う人は愚痴を聞いてもらうことが癖になり、
言っても仕方ないことを言って嘆くだけの人になるのです。
こんな愚痴を聞かされていては堪ったものではありません。
せめて、自分にとって役に立つ情報が含まれていたり、
愚痴を言った人が少しでも抱えている問題の解決につながればまだいいのですが
自分にとって全くメリットのない話を聞かされて不快感を押し付けられた挙句、
それを言っている者のオ○ニーに付き合わされているだけなのですから。
人がだめなら別の物に愚痴を聞いてもらおう
ここまでつらつらと、のべつ幕なしに愚痴についての個人的な考えを書いてきましたが、
お察しの通り私も愚痴っぽい人間です。
嫌なこと、不愉快なことがあれば誰かに知ってもらいたいし、できれば同情してもらいたい。
しかし、親でもないのに周りの人はいちいち私の境遇に興味を示してくれません。
そうすると当然愚痴を言っても微妙な反応が返ってくるだけです。
自分で言うのもなんですが、その反応をみて
「なんで話を聞いてくれないんだ!」と憤るのではなく
「やっぱり興味のない愚痴なんて聞きたくないよな」と思うことができる人間だったのは幸いでした。
しかし、だからと言ってこのモヤモヤを解消しないではいられない。
そう考えた私は最高の聞き手(サンドバッグ)にたどり着きました。
それはノートです。
別にノートでなくでもチラシの裏紙でもなんでもいいのですが、私はノートに日記のように愚痴を書き殴ったのです。
上司の態度が気に入らない、与えられた仕事の条件が理不尽、どうでもいいことで怒られている、などなど。
ノートはいいですよ。
最高の聞き手です。
なにしろ私がどんなにくだらないことを言ったって嫌な顔ひとつせずに受け止めてくれます。
他の人に話を勝手に漏らすこともありません。
一緒に連れて行きさえすれば、時と場所を選ばずでも私の話を聞いてくれます。
そして私は人に愚痴を言うのと同じように、モヤモヤしていることをノートに書き込みます。
筆記というのは話し言葉と違って客観的に自分の書いた文章を読み直すことができます。
つまり、筆記の方が口頭よりも精度の高い具体化が可能ということです。
さらに、筆跡には感情を乗せるようにすると、少しだけスッキリします。
綺麗に描こうとすると半端な愚痴になってしまいますし。
あとで自分の気持ちを確認し返すことができるのも魅力的です。
私は基本的に愚痴ノートは専用に一冊用意していて、全て保管しています。
もしあなたもノートに愚痴を吐き出すようになったら、数ヶ月、半年後などに読み返してみてください。
おそらく、大半の内容に対して「こんなことで悩んでいたのか」と言えるはずです。
私は実際そうでした。
書いている当時は本当に嫌で嫌で仕方なかったはずなのに、
時間が経って見返してみると、こんな細かいことでぐちぐち言ってたのかと思いました。
これは、時間が解決してくれるということもあるとは思いますが、
上述したように具体化をより詳細に行うことで、やるべきことや考えるべきことがはっきりしたことによる効果だと思います。
そして、この「こんな程度の悩みだったのか」という認識は、次の悩み事が来た時の一つの指標になります。
「あの時の悩みに比べたら大したことない」だったり
「あれのように、この悩みもすぐに気にならなくなる」と前向きに考えられるようになります。
そしてノートに吐き出すことで、他人に対して不快感を押し付けずに済むと言うメリットが大きいです。
余談ですが、デザインが好きなのと、せっかく自分の思いまとめるのだからと、私はモレスキンを使用しています。
お気に入りのノートに書くのは、それだけで楽しいですからね。
まとめ
愚痴にはある程度の効果が見込まれると思います。
そもそも、愚痴と一括りに言いますが、相談の変形であり、使い方を間違えなければ問題ないのです。
しかし、感情に任せるとどうしてもデメリットが目立つ愚痴となってしまいます。
ちなみに、初めの方にチラッとお話ししました利己的遺伝子論によると、
種の生存に有利な要素をもつ個体は子孫を残すことができる(好かれる)が、
生存に不利な要素を持つ個体は子孫を残せない(嫌われる)ので、
のちの世代には受け継がれないとされています。
時代に応じて有利不利は変わってきます。
つまり一般的に好かれる要素や嫌われる要素には理由があります。
今一度自分の振る舞いを見直し、言っても仕方ないことを言って嘆くだけのネガティブマシーンにならないよう、気をつけて行きたいものです。
「具体⇔抽象」トレーニング 思考力が飛躍的にアップする29問 (PHPビジネス新書)
コメント