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【考察・学校の自己防衛】ブラック校則は何故あるのか、なぜなくならないのか

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なにかと話題に上がることが多いブラック校則。


下着の色を規制してみたり、髪色にケチをつけて地毛証明を出させたり、特に反社会的でもない髪型を規制してみたりと、

それによって何が得られるのか分からない、いわゆる常軌を逸した校則をですね。


幸いにして私が通っていた学校ではこのような規則は無く、

せいぜいホストの様な長髪の男子が怒られたり、スカートを折って短くしている女子が怒られたりしていた程度でした。


ところで、人間が集団で社会生活を営むのが基本となっている現代社会において、社会を構成している人々が共通の社会規範を持つのは不可欠です。


学校というのは特殊な環境で、家族の庇護下を離れつつありながらも、社会の荒波に揉まれているわけでもない、という言うなれば【チュートリアル】や【お試し期間】と表現することが出来るでしょう。


大人になりたいかどうかという、議論というか希望は脇に置いておき、学校は子供から大人への過渡期にある若者を育てる大切な機関であり期間です。


誰もが経験し、そして過去のものとする青春の時期ですね。


そして、学校が社会生活を模している以上は、法律や慣習に相当する共通の規範として

校則が定められていることは何の問題もないことだと思います。

それが常識の範囲であればですが。


ところでこの常識という概念も厄介で、極めて主観性の強いものですが、ここではさらっと流しましょうか。


しかし、社会での生活に慣れるためという側面が学校生活にあるからといって、



「世の中は理不尽なのだから、理不尽な校則に縛られるのも社会勉強だ」



とか



「俺が若いころはもっと厳しかったのに、そのくらいで文句を言うな」



などと短絡的に言い捨ててしまうのは、大人の立場からすれば簡単でラクチンですが、あまりに心がありません。


だからといって、「子供の自主性云々」や「海外では云々」を持ち出してド派手な格好をさせたり宿題を廃止させろという気もさらさらありませんけどね。



社会に出てみると正解のある事柄というのは案外少ないものですが、正解を重視し、また各種教育を行っている学校も正しいことをしているとは限りません



その一つの例がブラック校則でしょう。



そして、ブラック校則が生まれた原因は学校だけにあるとは、私は思いません。


むしろ、子供にとって大切な環境であるはずの学校において、ラック校則は生まれるべくして生まれたのだと思っています。


本記事では、ブラック校則の良し悪しはとりあえず置いておき

なぜブラック校則が生まれたのかについて考えてみました。



なお、以下に述べる意見は全て私の持論であり、偏見です。

教育学やらなんやらの難しい勉強をした末に身に着けた意見ではありません。



Twitter:@tanshilog


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ブラック校則とはどういうものか

こういうものです。


余談ですが、ブラック校則だからといって過剰に糾弾することは避けるべきですね。


ブラック校則が悪だったとしても、だからといって私たちが正義だということにはなりません。


悪(だと自分が判断した者)を見ると、糾弾の為なら何をしてもいいと思いがちです。

しかしその結果自分が悪になってしまうことも珍しくはありません。



なぜブラック校則が生まれたのか

そもそも学校は何のためにあるのか

まず初めに、学校の役割について考えてみましょう。


学校は勉学(知識)を教え、社会性を身に着けるためにある程度管理された集団生活を経験させることで、社会に出るための下地を作る環境です。


特に義務教育中は人付き合いを円滑にするための演習の性格が強く、運動会や学芸会などの行事と、基本的な読み書きや四則演算、一般常識が教育されます。


そして、高校・大学へ進むごとに勉学(知識)の習得に重きが置かれます。


いわゆる勉強の密度が上がり、行事も文化祭や体育祭などの自主性を鍛えるものが主流になっていきます。



学校の持つ機能と求められている機能にギャップがある

しかし、社会から学校に対して期待されているのは本来の役割とは異なります


一般常識の教育や躾け、つまりは「おはよう」から「さようなら」を言えるようにしたり、「ありがとう」「ごめんなさい」を言えるように学校が教育しろと求める層が一定数います。



学校は、家庭で学んできたそれら(一般常識や躾け)を実践する場であり、根本的に0から教える場ではありません。



さらに、非行に走ってはいけないこと、人の迷惑になることをしてはいけないこと、ルールを守ることの大切さなど、倫理的というか心に根差した教育もするべきと期待されています


これら単なる偏見や思い込みではなく、生徒が問題を起こした際に学校がやり玉に上げられることからも想像しやすいと思います。


たとえば、イジメが表面化した際に、学校はどうして犯人や被害者の心のケアをしなかったのか、と責められます。


イジメるように育てた親ではなく、放置した学校が責められるのです。


もちろん言うまでもなく、学校はイジメが発生すれば止めるべきですが、


そもそもこのレベルの躾けや教育は親が行うべき領域です。



更に、イジメと言いますが、やっていることは犯罪であり、対応するのは学校ではなく警察であるべきです。


要するに、学校が持っている役割(機能)と周囲から求められていることに大きなギャップが存在しているのです。



何故学校が責められるのか

何か問題が発生したときに、その原因となった人に対して強く意見を言える人はなかなかいません。


会社や学校のように上下関係が発生する環境であれば、上から下へはバシバシ言える傾向にありますし、組織を動かすうえではそのような機能が必要だと言えなくもありません。

言われる側からしたら不愉快極まりないですけどね。



それはさておき、それ以外の環境では、自分が当事者にならない限り、個人に対して攻撃をすることをためらう傾向にあります。

たとえば、個人差は大きいですが、以下のような人を見かけたときに面と向かって注意できますか?



道端に煙草をポイ捨てしているサラリーマン

スーパーの駐車場に買い物カートを置きっぱなしにするおばさん



この程度の悪事であっても、その行いによって自分に被害が出ない限りは、たとえ悪いことをしている人がいても文句を言いにくいでしょう。


構わず注意ができるあなたは立派ですが、「うるせえな」と厄介者扱いされるでしょうね。

残念ですがそんな世界です。


しかし、直接言えない人が矛先を向けるのは、関係する「組織」です。


サラリーマンの会社が分かればクレームの電話を入れたり、スーパーの意見箱にカートの放置があったことを書いたりするのは、本人に直接言うよりも遥かにハードルが低いものです。


個人に対して攻撃をするというのは気後れや遠慮が発生しますが、組織に対しては言いやすいというイメージはありませんか?


恐らく、組織運営の適正化のために意見をしてあげたという大義名分を自分の中で得やすいためだと思います。

そして、組織側はその意見に真摯に向き合うべきだと考えます。

私だったらそう思うでしょう。


組織の構成員という事実は、個人の存在をぼやかします。

個人の集まりが組織だということを忘れ、意見(攻撃)をしやすくなります。



そのため、あくまで悪いのは組織(学校であり、是正のために意見をしたという大義名分を得ながら、個人(親への攻撃を回避することができるのです。



ブラック校則は学校の防衛手段としての側面がある

「家庭で親が躾けるべきことを学校に丸投げするな」


と言えればいいのですが、公務員である教師や公共機関としての学校が納税者様にそうそう強く出ることはできません。



学校が遂行できる機能とは異なるものを求められれば、可能な限りそれに対応するために限られたリソーセスを応用して投入する以外に方法はありません。


まず、厳しく叱責したり体罰を加えることはNGです。



子供が悪いことをしたときに叱れるのは親だけなのです。



現代では近所の頑固じじいですら通報対象の世界です。

学校の先生がそれをやろうものなら社会問題に発展します。



ではどうするか。



学校が生徒へ干渉するための手っ取り早い方法は校則です。



校則で定められているから、という呪文で生徒への躾けが可能になりました。


しかし、当然それが期待されている結果を生むとは限りません。


校則とは、学校生活を円滑に過ごし子供の成長を促すための共通の規範に過ぎません。

躾けのためのシステムではないのです。


子供の意識を根本から変える効果などあるはずもなく、ここでもギャップが発生してしまいます。


しかし、他にできることが無い学校はそのギャップを埋めるためにどんどん厳しい規則を定めていきます。


さらに厄介なことに、



厳しい対応をしている=熱心で十分な指導をしている



と誤認されがちです。


一生懸命に取り組んでいるのだから出来ることは全てやっているのだろうという根拠のない評価につながります。

いい仕事をしているように見えるだけであり、結果ではなく過程を見てしまうのですね。


周囲からは、これだけ厳しい指導をしているのだから学校側に目立った非はない、と認識されます。


学校側としても、周囲からの批判を避けるためという目的のために厳しい校則を課すようになります。



学校生活を円滑にして子供の成長を促すという本来の校則の目的は、ここには既にありません。



さらに、この方法に正解も無ければ着地点もありません。


始まりが間違っているのですから、目的からはどんどん離れた結果に行き着くことになります。


結果、行き過ぎた校則、常軌を逸した校則、


ブラック校則が出来上がったのです。



ブラック校則は学校だけで起きている問題か

ところで、上述の「一生懸命に取り組んでいるのだから出来ることは全てやっているのだろう」という認識について、既視感を覚えることはありませんか。


特に会社勤めのあなた。


「残業や休日出勤を沢山していてあいつは仕事熱心だ」


こういう感性を持った会社(というか偉い人)は珍しくありません。

むしろ多いのではないでしょうか。

(私の周りだけ?)



残業で遅くまで残っている人には労いの言葉をかけ、定時で帰宅する人には嫌味を言う。



もちろん一概には言えませんよ。

与えられた仕事が明らかにオーバーフローしており、仕方なく残業することは低評価には繋がりませんし、逆に仕事が終わっていないのに定時で帰るのは論外です。


しかし、そうでないケースが多いことをあなたも知っているのではないですか?


残業代という予定外の出費を会社に強いている人が評価されるのは何故なのでしょうか。


効率よく仕事をこなして定時で帰っている人が冷遇されるのは何故でしょうか。


会社としては業務改善をして固定費(残業代)を抑えるのが筋ではないのでしょうか。


他にも同様のケースとして、

手書きの書類には思いがこもっており、デジタルに比べて優れているという考え。

内容が同じであるならば、紙の節約になり作成時間を抑えられ保存性に優れるデジタルにも有意点を認めるべきでしょう。


これらに共通しているのは、結果ではなく過程が見られていることです。


もっと言えば、評価する側の好き嫌いが大きく影響しているように思えてなりません。


評価する側に気に入られるため、というのが目的になり、結果として本来求めるべき有益なことを生み出せないどころか、悪手を取ってしまうことも珍しくないでしょう。

ブラック校則と本質を同じにする現象というのは、案外日常生活に多く潜んでいるのかもしれません。



まとめ

ブラック校則そのものについて、個人的には反対の立場です。


しかし、何故それが生まれてしまったのかを理解しないまま、現代の価値観にそぐわないからと短絡的に廃止するだけでは、形を変えて同じことがまた起こってしまうだけでしょう。


もしくは、ブラック校則によって辛うじて抑制されていた負の面が表層化するかもしれません。

真因を把握せずに変更を加えることで、何が起こるか分からないのです。


上述のような、ブラック校則と本質的な部分で性質を同じにする現象というのは、目立っていないだけでそこらじゅうで発生しているのかもしれません。


変化の激しい現代社会において、従来の価値観に固執し続けることが場合によっては不利益を発生させることがあるという認識もしておくべきでしょう。


現在まで続く習慣を作った人の大部分は、既に仕事からも人生からも引退していてもおかしくありません。


本来願われた目的や意思が私たちの世代まで受け継がれていなければ、その時々に都合の良いように改変され、「そういうものだから」と思考停止をして運用を続けることになってしまいます。


そして、いつかブラック校則のように大きな問題として立ちふさがってくるのでしょう。


今はまだブラック校則がやり玉に挙がっているだけですが、次は何に注目が集まるのか分かりません。

もしかしたら、私たちが当たり前だと思っている何かが、強い非難にさらされる可能性もあります。


そして、原理原則を理解していない状態だと、それを改善しようにも、良い方に向かうことになるのか判断の使用が無いのです。


何かを考えるとき、決めるときは、簡潔に真実や正解と思える方向に進んでしまいがちですが、それが本当に正しい方向なのか、簡単には分かりません。


進みやすいけれどゴールの方向を向いていない道。

途中までは合っているけれど、やがて関係ない方向へ続く道。

険しい道だけれど、確実に正しい方向へ向かえる道。

進みやすく一直線にゴールへ向かっている道。


色々なケースがあるでしょう。

険しかったり時間がかかるのが正しい判断とは限りません。

その逆もしかりです。


何かを判断するときは、そういう疑いの目を持っているのが重要な場面というのがきっとあるのだと思います。


それを忘れてしまえば、ブラック校則の二の舞になってしまうかもしれません。


そして、それによって失われるのは、私たちの子供や次の世代の時間と人生なのです。


Twitter:@tanshilog


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